TITLE : 癒しの旅 四国霊場八十八ヵ寺  目 次 清らかでなつかしい寺々の貌  瀬戸内寂聴 四国霊場ミニ百科 「発心の道場」 阿波の国二十三ヵ寺 徳島県 第一番   霊山寺 第二番   極楽寺 第三番   金泉寺 第四番   大日寺 第五番   地蔵寺 第六番   安楽寺 第七番   十楽寺 第八番   熊谷寺 第九番   法輪寺 第十番   切幡寺 第十一番  藤井寺 第十二番  焼山寺 第十三番  大日寺 第十四番  常楽寺 第十五番  国分寺 第十六番  観音寺 第十七番  井戸寺 第十八番  恩山寺 第十九番  立江寺 第二十番  鶴林寺 第二十一番 太龍寺 第二十二番 平等寺 第二十三番 薬王寺 「修行の道場」 土佐の国十六ヵ寺 高知県 第二十四番 最御崎寺 第二十五番 津照寺 第二十六番 金剛頂寺 第二十七番 神峯寺 第二十八番 大日寺 第二十九番 国分寺 第三十番  善楽寺 第三十一番 竹林寺 第三十二番 禅師峰寺 第三十三番 雪蹊寺 第三十四番 種間寺 第三十五番 清瀧寺 第三十六番 青龍寺 第三十七番 岩本寺 第三十八番 金剛福寺 第三十九番 延光寺 「菩提の道場」 伊予の国二十六ヵ寺 愛媛県 第四十番  観自在寺 第四十一番 龍光寺 第四十二番 仏木寺 第四十三番 明石寺 第四十四番 大宝寺 第四十五番 岩屋寺 第四十六番 浄瑠璃寺 第四十七番 八坂寺 第四十八番 西林寺 第四十九番 浄土寺 第五十番  繁多寺 第五十一番 石手寺 第五十二番 太山寺 第五十三番 円明寺 第五十四番 延命寺 第五十五番 南光坊 第五十六番 泰山寺 第五十七番 栄福寺 第五十八番 仙遊寺 第五十九番 国分寺 第六十番  横峰寺 第六十一番 香園寺 第六十二番 宝寿寺 第六十三番 吉祥寺 第六十四番 前神寺 第六十五番 三角寺 「涅槃の道場」 讃岐の国二十三ヵ寺 香川県 第六十六番 雲辺寺 第六十七番 大興寺 第六十八番 神恵院 第六十九番 観音寺 第七十番  本山寺 第七十一番 弥谷寺 第七十二番 曼荼羅寺 第七十三番 出釈迦寺 第七十四番 甲山寺 第七十五番 善通寺 第七十六番 金倉寺 第七十七番 道隆寺 第七十八番 郷照寺 第七十九番 天皇寺 第八十番  国分寺 第八十一番 白峯寺 第八十二番 根香寺 第八十三番 一宮寺 第八十四番 屋島寺 第八十五番 八栗寺 第八十六番 志度寺 第八十七番 長尾寺 第八十八番 大窪寺 あとがき 清らかでなつかしい寺々の貌 瀬戸内 寂聴   最近、四国八十八ヵ所の巡礼が急に多くなり、一種のブームになっているという。札所の寺々はこのブームに一様にとまどいの表情を見せながら、何にしても結構なことだと喜んでいる。  バスの巡礼ツアーも多いけれど、個人で自分の車を運転しながらの停年族の夫婦づれも多くなっている。  かと思うと、寝袋を背負った歩き巡礼の姿も目にたつようになってきた。  何が彼等を四国の辺土に憧れさすのか。  そこに寺があり、仏がいまして、巡礼の人々を迎えいれ、疲れや、悲しみや、苦しみを黙って癒してくれるからであろう。  どの札所にも、人々が願いを書いた写経や、お札がはりつけてある。  誰もが、そこに立つと、自分の他にも悩みや苦しみを持った人々が多いことに気づき、その人々も自分と同じ路をはるばる巡礼していったのだと思うと、なつかしい気持に満たされてくる。  人間の五欲煩悩迷妄の涯《はて》に、美しい清らかな光がさしそってくることを信じて巡礼をつづける人々の上に、仏の慈悲の光がふりそそいでくれ、いつの間にか巡礼の身も心も軽くなっているのだ。  札所の寺々は、町中の歩き易いところもあれば、高い山の奥や頂の難所と呼ばれるところもある。春も秋も巡礼の季節には、巡礼道の行手に、花々が咲き、紅葉が燃え、やさしい風が吹いている。  永井吐無画伯の「四国霊場八十八ヵ寺」の画集の絵は、繊細なペン画で、一ヵ寺ずつを丁寧にスケッチしてある。  寺々の風貌は、大寺も、小寺も一様にこの上なく清らかに描かれている。実に正確に写されていながら、それはカメラで捕えた映像とは似て非なるものである。  人影も、動物の姿も皆無な寺のたたずまいには、現実臭がかき消されている。  それは吐無氏の魂の目が捕えた寺の貌であって、現実の寺の疲れも汚れも一切かき消されている。現実の寺は、こんなに美しくはなかったと思うと同時に、いや、あの寺々が建ち上がった瞬間は、どの寺もこんな清潔さと清らかさと、崇高さを持っていたのだろうとうなずかされるのであった。  人々が、寺々を巡る心をかきたてられるのは、この世があまりに汚れ、あまりに殺伐で、滅びへの道を一気に駆けているような不安に脅《おびや》かされているからであろう。そういう巡礼者の憧れの寺々は、この何と清らかで静謐に満ちた姿であるのだろう。  吐無氏の描いた寺々の奥に、あきらかに在《いま》すみ仏の光を感じさせてくれる尊い霊気が、吐無氏の画の中の寺からほのぼのと伝わってくる。  四国霊場ミニ百科 四国霊場の歴史  四国八十八ヵ所が開かれたのは、弘法大師空海が四十二歳の弘仁六年(八一五)とされる。大師は、讃岐国(香川県)多度郡の郡司の家に生まれ、都に上って大学寮に学んだが、二十歳の頃から大和や四国を隈なく歩いて、修行を積んだ。  すでに、四国には役小角《えんのおづぬ》、行基《ぎようき》に代表される行者が修行する聖地が数多くあり、阿波(徳島県)の大滝岳(二十一番太龍寺)、土佐(高知県)の室戸岬(二十四番最御崎寺)、伊予(愛媛)の石鎚山(六十番横峰寺、六十四番前神寺)など、史実にも明らかな大師ゆかりの寺も少なくはないが、多くは大師入定《にゆうじよう》後の平安末期に大師信仰の隆盛に伴って、霊場が定められていき、室町時代にはほぼ現在の八十八ヵ寺となった。  江戸時代になると、庶民の間にも遍路が広まり、賢明の『四国霊場御巡幸記』や真念の『四国辺路道《みち》指南《しるべ》』が出されている。  八十八という数の由来には諸説があり、煩悩の数とも、浄土の数とも、男(四十二歳)、女(三十三歳)、子供(十三歳)の厄年を合わせた数ともいわれる。その八十八ヵ寺は、阿波に二十三、土佐に十六、伊予に二十六、讃岐に二十三あり、それぞれが発心《ほつしん》の道場、修行の道場、菩提の道場、涅槃《ねはん》の道場と名づけられている。  四国八十八ヵ所巡りは、全行程一三六〇キロに及び、徒歩なら五十日かかるが、団体バスツアーや車、タクシーを使えば十日ほどで巡拝できる。  いまでは、霊場巡りをする人は年間十五万人ともいわれ、むかしながらの歩き遍路も千人を越すといわれる。  八十八ヵ所を一度に回る人ばかりではなく、一国巡りをする人、休みのたびに数ヵ所を回る人など、さまざま。  札所《ふだしよ》を巡礼することを「打つ」といい、これは昔、巡礼が自分の名札を札所に打ちつけたことに由来するが、納札に変わってからも、順打ち、逆打ち、区切り打ちと使われている。順打ちは、一番から八十八番まで番号順の回り方、逆打ちは、八十八番から一番へと回る巡り方、区切り打ちはある区間を巡ってから、改めて続きを回る巡り方である。 遍路の目的と装束・巡拝用品  白衣に菅笠《すげがさ》、手甲《てつこう》脚絆《きやはん》、数珠、札ばさみ、頭陀袋《ずだぶくろ》、金剛杖という姿は、死装束に由来する。死出の旅路への姿である。先に冥界に行った先祖や家族、友人知人の霊とともに、霊場を巡拝して、故人の冥福を祈り、と同時にお遍路自身が後世の苦行を先取りして極楽往生を祈願する修行の旅でもある。遍路行は、弘法大師との同行二人《どうぎようににん》の旅でありながら、死霊との同行二人の旅ともなり、八十八ヵ所すべてを回って結願することで、遍路する者は、死霊の世界から現世に蘇るという功徳がある。  遍路用の装束や用品は、一番札所はじめ、ほとんどの札所で準備できるほか、四国の主だった都市の仏具店でも入手できる。必ずしも、すべてを揃える必要はないが、金剛杖(遍路杖)、納経帳、納札、線香、ろうそくくらいは持っていきたい。 ・白衣 背中に弥勒《みろく》菩薩の梵字《ぼんじ》、その下に「南無大師遍照金剛 同行二人」と書かれている。道中着のほかに、もう一枚、自分の死出の旅路用にと納経印を押して取っておく人もいる。 ・輪袈裟《わげさ》 「四国八十八ヵ所巡拝 南無大師遍照金剛」と書かれている。手洗いなど不浄の場所に出入りするときは、外す。 ・菅笠 日除け、雨笠ともなる。「同行二人」と書き、笠をかぶったまま礼拝する。ただし、靴を脱いで入室するような所では、笠も取る。 ・金剛杖 弘法大師の分身とされる。五輪の下に大師のご宝号、遍路の氏名(年齢)、「同行二人」と書く。宿に着いたら、大師の足を洗うつもりで杖の先を洗い、床の間に立ててご法楽《ほうらく》(般若心経《はんにやしんぎよう》と大師宝号、諸真言)をあげる。 ・納札 氏名、年齢と病気平癒といった祈願事を書く。各札所の本堂と大師堂の二ヵ所の納札箱に納める。また、道中で接待を受けた場合や遍路同士が行き合ったときの名刺代わりにもなるので、多めに用意する。 ・札ばさみ(納札入れ) 納札を入れるが、線香やろうそく、マッチも入る。 ・納経帳 札所で礼拝、読経《どきよう》を終えたら、納経の手続きをする。 ・頭陀袋 納経帳や経本、タオルなどの小物を入れて歩くのに便利。 ・持鈴《じれい》 読経の前後に三回振る。移動中は頭陀袋に入れるなどして、音を立てない。 ・数珠 真言宗のものを用い、合掌するときに三度摺る。 参拝の仕方 一、お寺に着いたら、山門や仁王門で一礼する。 二、手水《ちようず》鉢《ばち》で口をすすぎ、手を洗う。 三、鐘楼で鐘を撞《つ》けるお寺では、鐘を撞く。 四、ろうそくに火を点し、灯明と線香を上げる。 五、本堂に向かい、納札と写経を箱に納める。 六、賽銭を上げる。 七、本尊、宝号を念じて合掌、読経する。 八、大師堂やほかのお堂を回る。 九、納経所で納経料を払い、納経帳に朱印を押してもらう。 十、最後に、山門を出る前に本堂に向かい、合掌して一礼する。 結願  八十八ヵ所を回り切ることを結願という。順打ちであれば、八十八番の大窪寺に菅笠、金剛杖を納める。結願後、無事に修行を終えたお礼と長旅に連れ添ってくれた弘法大師をお返しするために、大師入定の聖地・高野山に詣でる人もいる。 「発心の道場」信仰を思い立ち、悟りを願う旅路 阿波の国二十三ヵ寺 徳島県  【第一番】竺和山 霊山寺 一乗院 ——じくわざん・りょうぜんじ・いちじょういん 一四〇〇キロの長い修行の始まる「発願《ほつがん》の寺」。奈良時代に行基《ぎようき》創建と伝えられる。後に弘法大師がこの地に至ったとき、釈迦が天竺《てんじく》(インド)の鷲峯山《じゆぶせん》で説法する姿を感得し、ここが和国(日本)の天竺となることを願って、竺和山と名づけたという。  車とバスが門前の道路を忙しく走っている。道路に少し張り出したような仁王門をくぐると、目に入るのは右手に大師堂。その前の池にはたくさんのコイが泳ぎ、子供たちが戯れ、足元ではハトが遊んでいる。  本堂には、絶え間ない人の群れが心なしか少し緊張感を漂わせている。その中で、石で造られたユーモラスな不動明王の目だけが彩色された姿はとてもほほえましい。仁王門の裏手に、東京足立ナンバーの男性がじっとどこかを見つめて座っている。錆びてしまった車イスと話しているようだった。  第一番 霊山寺  鳴門市大麻町板東字塚鼻126 電車/JR高徳線・板東駅徒歩10分 車/鳴門ICから9キロ 宿坊休業中(民宿を紹介) 【第二番】日照山 極楽寺 無量寿院 ——にっしょうざん・ごくらくじ・むりょうじゅいん 本堂は、万治二年(一六五九)に再建された。本尊・阿弥陀如来は弘法大師の作で、ともに国の重要文化財。「安産大師」は安産ばかりか、子宝を授かる霊験あらたかと信じられている。  仁王門をくぐると左手に願かけ地蔵尊の小さなお堂が、大勢の人々の願いを一身に引き受けているかのごとく鎮座し、明るく誘う。またひときわ高くそびえ立つ直径一・五メートルもあろうかと思われる、「弘法大師御手植長命杉」と書かれた大看板と杉の大木が人々を集めている。杉に触れて見上げている屈託のない笑顔が心地よい。  石段を上り、本堂、大師堂、さらに口紅をつけた小さく愛らしい石の抱き地蔵が人々を惹きつける。抱き上げて軽ければ、願いが叶うという地蔵。湧き上がる笑い声は、その幸せを喜んでいるようだ。ゆったりとした開放感、何となくくつろげる空間は寺号どおり極楽の感じだろう。  第二番 極楽寺  鳴門市大麻町桧字段の上12 電車/JR高徳線・阿波川端駅より徳島バス大寺行き2番札所前下車 車/藍住ICから約15分 宿坊あり 【第三番】亀光山 金泉寺 釈迦院 ——きこうざん・こんせんじ・しゃかいん 鎌倉時代に亀山法皇が三十三間堂を建てて勅願寺としたことから、学僧が集まり、四国有数の寺となった。観音堂の聖観音像には、屋島での源平合戦にのぞむ源義経が戦勝を祈願したと伝えられ、開運を願う参詣者の香煙が絶えない。  赤い山門、赤い小さな太鼓橋が強烈に誘う。寺全体の配置が面白い。不動明王の化身といわれる龍王「倶利迦羅《くりから》龍王」が火炎の中で威厳を保ち、そのまわりには十二支の御守本尊が見守るように石の上に一つずつ鎮座している。いつの人が作ったのだろうか。この姿や地蔵の配置に、何事も寄せつけないユーモアと穏やかさを見た。  観音堂の少し奥に黄金地蔵尊があり、ふと目に留まった小さな黄金色のセミの抜け殼は、はたして黄金地蔵尊の化身だったのだろうか。左右の唐獅子に守られている朽ちかけた小さな天満宮の御堂の凜《りん》としたたたずまいが気持ちいい。  第三番 金泉寺  板野町大字亀山下66 電車/JR高徳線・板野駅徒歩10分 車/藍住ICから約20分 宿坊休業中 【第四番】黒巌山 大日寺 遍照院 ——こくがんざん・だいにちじ・へんじょういん いにしえのまま、印判での納経を守っている唯一の札所。本尊の大日如来は一寸八分(約五・五センチ)の秘仏で、弘法大師作と伝えられる。阿波藩主・蜂須賀家の帰依が厚く、いまの堂塔も元禄年間(一六八八〜一七〇四)に大修理された。本堂と大師堂を結ぶ廻廊には三十三体の千手観音が祀られている。  昔話を絵に描いたような人里からゆるやかにそして小高い山に入る。開放された細長い道が参道へと続く。見えて来るのが赤くぬられた二階建ての鐘がつるされている山門、くぐると本堂へと続く細長い石だたみの道が心地良くまわりを取りまく緑と程良く調和している。親子づれだろうか、楚々とした若い娘と中年の婦人が清楚な空気をかもし出していた。  第四番 大日寺  板野町黒谷字居内5 電車/JR高徳線・板野駅より徳島バス鍛冶屋原行き、羅漢下車徒歩25分 車/藍住ICから約30分 宿坊なし 【第五番】無尽山 地蔵寺 荘厳院 ——むじんざん・じぞうじ・しょうごんいん 戦国時代までは阿波、讃岐、伊予の三国に末寺三百を擁し、塔頭《たつちゆう》二十六寺を数えたという。地元では「羅漢《らかん》さん」の名で親しまれており、本堂裏手の石段を上がると羅漢堂がある。日本最大、木造極彩色の羅漢像が三百体余り残っている。大師堂の傍らにある淡島大明神では、何百年も前から、病気封じの「へちま加持《かじ》」が行われている。  境内に入ると、樹齢九百年余の大イチョウが手をいっぱい広げたように、おおらかな格好で迎えてくれる。その木はお寺の中でもとてもいい場所にあり、本堂、大師堂にイチョウの葉がからむように同化し、美しさを演出している。  木の下で若い遍路さん一人がぽつんと休んでいる。それだけで完璧な絵だ。本堂裏手の小高い山に古い古いお墓の群れ。その起伏のある姿に仏国のモンサンミッシェル僧院を想った。  第五番 地蔵寺  板野町羅漢林東5 電車/JR高徳線・板野駅より徳島バス鍛冶屋原行き、羅漢下車徒歩5分 車/藍住ICから約20分 宿坊なし 【第六番】温泉山 安楽寺 瑠璃光院 ——おんせんざん・あんらくじ・るりこういん かつての境内は二キロほど離れた安楽寺谷にあり、温泉が湧いていた。元禄時代の霊場記にも「この地に昔、温泉ありて諸方の病人、浴治の利益を得し……」と記されており、山号も寺号も温泉に由来している。本堂は昭和三十二年に焼け落ちて、鉄筋コンクリートになったが、焼け残った大師堂には万治四年(一六六一)の棟札が残る。  山門をくぐると広々とした境内。池を前に多宝塔、黄金の雰囲気をただよわす本堂、文化財になっている安楽寺文書院のわらぶきの建物、大師堂、宿坊とゆったりとした空間は、なぜか茫漠とした感じで、糸の張った心をゆるめてくれる。  大師堂の脇には、友人に似た弘法大師が私に話しかけるように鎮座している。気になる友人を思い出させてくれる興味深い寺だ。  第六番 安楽寺  上板町引野字寺の西北8 電車/JR高徳線・板野駅より徳島バス鍛冶屋原行き、東原下車徒歩10分 車/土成ICから約5分 宿坊あり 【第七番】光明山 十楽寺 蓮華院 ——こうみょうざん・じゅうらくじ・れんげいん かつては、阿波北部最大の寺院として栄えて広壮な伽藍《がらん》を誇ったが、天正年間の兵火で焼失。寛永年間(一六二四〜一六四四)に再興されて以来、明治にかけて現在の寺観を整え、往時を偲《しの》ばせる。眼病に霊験あるという地蔵尊と龍宮城を思わせる鐘楼門が人気を集める。  門の入口に小さい石仏群が手招きをしているように待っている。その脇の石段を上り、遍照殿をくぐる。左手に本堂、そのまた左手を上ると大師堂がある。こぢんまりとしているが形がよく、趣がある。  山門の前、道を挾む形のうどん屋に入った。名物のたらいうどんを食べる。香川(讃岐)と徳島の味の違いにおどろく。現代のようなメディアがほとんどなかった時代には、県も町も異なると素材、味にそれぞれの個性があったのだ。昔経験したほろにがい思いがよぎる。親切な主人は帰りがけに、ふかしたさつまいもを持たせてくれた。  第七番 十楽寺  土成町高尾字法教田58 電車/JR高徳線・板野駅より徳島バス鍛冶屋原行き、鍛冶屋原下車徒歩20分 車/土成ICから約10分 宿坊あり 【第八番】普明山 熊谷寺 真光院 ——ふみょうざん・くまだにじ・しんこういん 札所最大の楼門、四国最古の多宝塔がある。本尊の千手観音像は弘法大師が彫り、胎内には熊野権現から授かったとされる一寸八分の観音像が納められている。  まわりは畑。細い一本道にまさに仁王立ちする大きく立派な風格の仁王門。あまりに見ごたえある門の前にしばしたたずむ。脇に軽トラックが止まっていた。そばで農作業をしている中年の婦人が「じゃまでしょう。どけますから」と言って車に乗って走り去った。あとに「ふう」と静寂がため息をついたように思った。  門をくぐると右手に小さい池が、弁財天が、何げなくある。鴨がのんびりと泳いでいる。静けさの中に流れる御詠歌がなぜかわびしい。目を転じると、多宝塔が木々に映え、風格のある美しさを見せている。ゆっくりした起伏の中を山に入る石段を上って行くと本堂へと至る流れ。その道は無理なく、しかし少しだけ無理を強いる、そう教えてくれているようだ。  第八番 熊谷寺  土成町土成前田185 電車/JR徳島線・鴨島駅から車20分 車/土成ICから約5分 宿坊なし 【第九番】正覚山 法輪寺 菩提院 ——しょうかくざん・ほうりんじ・ぼだいいん 本尊は、弘法大師が釈迦入寂《にゆうじやく》の姿を刻んだ四国霊場で唯一の涅槃《ねはん》像。たびたびの火災を免れた秘仏で五年に一度の開帳。二〇〇一年の次は二〇〇六年になる。このあたりは長宗我部氏の兵乱の激戦地で、堂宇はことごとく焼失した。再建後の江戸末期にも失火があり、楼門をのぞいて歴史的建造物もないが、のどかな田園風景が味わえる。  周辺は田んぼ、その中にある寺は素朴で明るく、どこまでものんびりとしたまわりの風景と、とけあっているように、小鳥たちがたわむれている。小柄な仁王門、本堂、大師堂が仲良く並び立っている姿は仲の良い兄弟を見るようで、何とも形容しがたい愛らしさにあふれている。  のんびりした雰囲気の境内の中、一本の柿の木に柿の実がたわわになっていた。  第九番 法輪寺  土成町土成字田中198‐2 電車/JR徳島線・鴨島駅より市場行きバス追分下車、徒歩10分 車/土成ICから約10分 宿坊なし 【第十番】得度山 切幡寺 灌頂院 ——とくどざん・きりはたじ・かんじょういん 山門から急勾配の石段を三百三十三段上って本堂に至る。山中にあったために戦国の兵火も免れ、古い文化財が残る。不動堂奥に立つ多宝塔は徳川二代将軍秀忠が堺の住吉神社に寄進したもの。明治の廃仏毀釈《はいぶつきしやく》で移築され、重文となっている。  山全体が寺という印象。山の入口に、車一台がやっと通過できるかと思えるほどの山門がある。傷ついた仁王が存在感を誇示し、すっくと立っている感じが気持いい。緑にあふれる登り道。石段は境内まで一キロ少しあるだろうか。標高一五五メートルとあった。こぢんまりとまとまった境内、見上げる大塔の姿は美しい。  大きな手作りの杖をガランガランと響かせ、ひげをたくわえた修行僧のなりをした初老の人物が、何十回となく巡礼し続けることを人生にし、行く先々で滝に打たれ、俳句を詠み、記録し、淡々としている様子に、生きるとは何かを考えさせられる。  第十番 切幡寺  市場町切幡字観音129 電車/JR徳島線・鴨島駅より穴吹方面行きバスで八幡西下車、徒歩1時間 車/土成ICから約25分 宿坊なし 【第十一番】金剛山 藤井寺 一乗院 ——こんごうざん・ふじいでら・いちじょういん 弘法大師が堂塔の前に五色の藤を植えたのが寺号の由来。大師が刻んだ本尊の薬師如来は国宝で、「厄除けのお薬師さん」と親しまれている。寺が何度も兵火や炎に見舞われて焼失しながらも無事だったことから、厄除けにご利益があると尊ばれ、藤の花の季節には、大勢の参拝客が訪れる。  山のふところにいだかれているような山門が数段の石段をしたがえ、訪れる者を出迎えてくれているようだ。門の奥に見える藤の棚が美しい。いまは花を見ることは出来ないが、青々と緑に輝くさまはひときわ美しい。色づいた花の光景をほうふつとさせる。花咲く頃ぜひ訪れたいと思う。  本堂の奥の方、現代まで残っている十二番焼山寺への道は、「空海の道」と深く静かな時に印されていた。  第十一番 藤井寺  鴨島町飯尾1525 電車/JR徳島線・鴨島駅より徒歩40分 車/土成ICから約15分 宿坊なし 【第十二番】摩廬山 焼山寺 正寿院 ——まろざん・しょうざんじ・しょうじゅいん 役小角《えんのおづぬ》が修験道の道場として開創。標高八〇〇メートルの山上にあり、「一に焼山、二に鶴(第二十番・鶴林寺)、三に太龍(第二十一番・太龍寺)」といわれ、徳島三大難所の筆頭に挙げられる。通称「遍路ころがし」。  山のまた山の上、やっと来たとの思いで一息つく。冷たい霊気を感じ、大昔のままであろうと思う見事な大石で作られた石段を上っていくと、天まで届くほどの巨大な杉の木々に囲まれた仁王門を見た。一瞬、足が止まるほどの形容しがたい光景を目前に震え、感嘆する。うっそうとした古い古い杉の大木がニョキニョキと立っている。  さらに石段を数段上ると本堂。左に三面大黒天、右に大師堂、青い石を重ねた上に仏たち、よく似合う。境内は質実で質素、心洗われる思いでしばし立ちどまる。鐘つき堂の下、小さいブランコが二つ静かに静かに揺れていた。  第十二番 焼山寺  神山町下分字地中318 電車/JR徳島線・徳島駅より焼山寺行きバス終点下車、徒歩1時間20分 車/徳島ICから約1時間45分 宿坊あり 【第十三番】大栗山 大日寺 花蔵院 ——おおぐりざん・だいにちじ・けぞういん 弘法大師が創建。天正の兵火で焼け、再建されたものの、一宮が建立《こんりゆう》されたときに別当寺(神社に設けられた神宮寺)となった。明治の神仏分離までは一宮神社が札所で、寺は納経所として参拝された歴史を持つ。大日寺から第十七番の井戸寺までは近接しており、徳島では日帰りで「五ヵ所参り」をする人も多い。  車の往来があわただしく、境内に入るのに年とった人には少し注意が必要。道路をはさんで阿波国一宮神社が向いあっている。寺の背には川がゆったりと流れ、昔日《せきじつ》の風景のいかにあったのか、いまは想像しがたく、道路の印象が私の心を気ぜわしくさせる。道路から石段を七、八段上ると境内に入る。往時、賑わっていただろうと思われる佇《たたず》まいに歴史の重さと時の流れを考えざるをえなかった。  第十三番 大日寺  徳島市一宮町西丁263 電車/JR徳島線・徳島駅より徳島バス延命または名東経由神山方面行き、一宮札所前下車すぐ 車/藍住ICから約35分 宿坊あり 【第十四番】盛寿山 常楽寺 延命院 ——せいじゅざん・じょうらくじ・えんめいいん 四国霊場で唯一、弥勒《みろく》菩薩(弘法大師作)を本尊とする。大師が開基し、後に細川氏の誓願所として栄えたが、長宗我部軍に焼かれ、万治二年(一六五九)に阿波藩主・蜂須賀光隆の手で再興された。境内の岩肌が風雨に削られて天然の庭となり、「流水岩の庭」と名づけられている。  岩盤の上に立ったお寺。光が差し込んだ境内の空間は流水岩といわれているようにキラキラと一瞬、息をのむ美しさにあふれていた。  硬質な本堂を感じ、そばにアララギの大木が悠然とそびえたっている。二つにわかれた大木の間に小さい大師像がほほえみをたたえ座っている。愛《いと》しいということはこのようなことだろうか。岩を削った石段は青く輝く。私の好きなお寺だ。  第十四番 常楽寺  徳島市国府町延命606 電車/JR徳島線・徳島駅より徳島バス延命経由神山方面行き、常楽寺前下車 車/藍住ICから約40分 宿坊なし 【第十五番】薬王山 国分寺 金色院 ——やくおうざん・こくぶんじ・こんじきいん 天平時代、全国に建立された国分寺のひとつで、阿波国分寺であった。天平の戦火で焼かれるまでは、二キロ四方の寺域に金堂、七重塔、桃山時代に築かれた壮麗な庭園があったという。境内には、近くで掘り出された七重塔の礎石があり、重層入母屋《いりもや》造りの本堂とともに、往時の壮観を偲ばせる。  風格のある山門である。山門から見る二層の本堂は重厚感あふれる光景だ。圧倒され言葉を失う思いだ。かつて聳えていたという七重塔ほかの礎石はこの寺の魂か。涙のごとくぬれて青く光っていた。かわいい小さい大師堂はどこかの道端で見かけたお堂のようで、まわりには広いレンゲ畑、そんな夢を見た。  いまは中くらいの規模だが、境内は堂々とした風格と風情を保ち、そのうえ広漠とした雰囲気をたたえ宇宙の空間にいるようだった。  第十五番 国分寺  徳島市国府町矢野718‐1 電車/JR徳島線・徳島駅より徳島バス延命経由神山方面行き、国分寺前下車、徒歩5分 車/藍住ICから約25分 宿坊なし 【第十六番】光耀山 観音寺 千手院 ——こうようざん・かんおんじ・せんじゅいん 白衣の襟に押印する光明印判は、八十八ヵ寺で唯一、大師の筆跡を刻印したもの。重罪を消滅させ、真言不思議の果を得るものと崇《あが》められている。  狭い道に似合わず、せり出すように大きな山門が立ちはだかっている。昔、この道はあったのだろうか。それとも、この門の前は広い空間であったのだろうかと想像をめぐらすが、現代の姿になぜか安堵感を覚えていた。  脇の駐車場から、聞き覚えのある音が響いた。ハーレー・ダビッドソンだ。少し重そうに方向を換えている。男がバイクのガソリンタンクに霊場の地図を貼りつけ、完全武装のスタイルでまたがっていた。フェリーで四国に渡り、霊場巡りを始めたばかりという五十歳前後のすがすがしい笑顔は、ドッドッドッといい音を残して去って行った。静けさを取り戻した境内には、かわいい古びたお堂がポツネンと建っているように思われた。  第十六番 観音寺  徳島市国府町観音寺49‐2 電車/JR徳島線・徳島駅より徳島バス石井経由鴨島線、観音寺北下車 車/藍住ICから約20分 宿坊なし 【第十七番】瑠璃山 井戸寺 真福院 ——るりざん・いどじ・しんぷくいん 境内の日限《ひかぎり》大師堂の中には、「面影の井戸」があり、大師がわが身を映して顔を彫ったといわれる日限大師が堂内にまつられている。建造物は、昭和になって再建されたものだが、大師作の十一面観音、平安期の日光・月光菩薩像など、重要文化財の貴重な仏像が現存する。  ゆったりとした仁王門。開放的な雰囲気を醸し出している周囲の空気は、いかにものどかだ。仁王門を通して本堂を見る。素晴らしいバランスが私の心をなごませる。境内の空間には、人々の笑い声があふれている。  日限大師のお堂の中に井戸がある。そこに顔を映す人は、はっきり映らなければ寿命が短いとか、ゲームのように幸不幸に一喜一憂する。つくづくと時代を超越した人間の性《さが》を考えさせられる。  第十七番 井戸寺  徳島市国府町井戸字北屋敷80‐1 電車/JR徳島線・徳島駅より徳島バス日開経由の覚円線、井戸寺口下車 車/藍住ICから約15分 宿坊あり 【第十八番】母養山 恩山寺 宝樹院 ——ぼようざん・おんざんじ・ほうじゅいん 聖武天皇の勅願によって開かれた当時は、密厳寺と号して女人禁制だった。百年あまり後、弘法大師が修行中に訪れてきた母・玉依御前を入山させるため、女人解禁の祈願をして母を迎え入れ、孝養を尽くしたという。以来、寺号を改め、女人に開放された。大師堂の本尊は「厄除け大師」といわれ、災難除けのご利益があるといわれる。  本堂では、団体遍路さんの般若心経の合唱が響いている。  よその寺でもよく見かける光景だが、脇にいた一人遍路の男性が、そそくさと去って行った。水で清められた境内に一匹の前足をなくした犬が所在を求めてあちこちと移動をかさねている。まるでこの寺の主のように控え目に動く。人の邪魔にならないようにと気をつかっているようだ。山道の中腹に若い男の遍路がじっと座っている。何を祈っているのか、行きも帰りも同じ姿勢で座っていた。  第十八番 恩山寺  小松島市田野町恩山寺谷40 電車/JR徳島線・徳島駅より小松島市営バス立江萱原行き、恩山寺前下車 車/JR南小松島駅から西へ、日開野町交差点を左折。国道55号線を南へ約10分 宿坊なし 【第十九番】橋池山 立江寺 摩尼院 ——きょうちざん・たつえじ・まにいん 光明皇后の安産祈願のために聖武天皇が建立した。八十八ヵ所に四つだけある関所寺のひとつ。参拝者の心は、関所寺で仏の審判を下され、罪や邪心を持つ者には天罰が下されるという。本堂の天井に描かれた花鳥図は現代のものだが、一見の価値がある。  昔から変わりなく、どこか見覚えのある路地裏のような街並み。車一台がやっと通れるほどの小道。申し訳なさそうな小川にかかる小さい石の太鼓橋より仁王門を見る。中から三輪車に乗った女の子とその父親がにこやかな笑顔で出て来た。入れ替わるように数十人の団体遍路さんが鈴の音、杖の音、話し声とともに、にぎやかに門を通過する。傍らで川崎ナンバーのワゴン車が遠慮深く何かを待っているようだった。  第十九番 立江寺  小松島市立江町字若松13 電車/JR牟岐線・立江駅徒歩5分 車/JR立江駅から南へ5分 宿坊あり 【第二十番】霊鷲山 鶴林寺 宝珠院 ——りょうじゅざん・かくりんじ・ほうじゅいん 阿波の三大難所寺のひとつ。運慶作といわれる仁王像のある山門をくぐると、樹齢千年を越える老木が生い茂る。深い山中にあったために戦火を免れ、古い堂宇が並ぶ境内でも県内唯一の三重塔は見どころ。一帯には、弘法大師が修行した史跡が多く、奥の院・慈眼寺にある「穴禅定」と呼ばれる鍾乳洞が有名。  那賀川をはさんで太龍寺、そして鶴林寺、いずれも山また山の上にあり幽玄の世界そのもの。天然大木の杉の多くから冷たい風の音が季節の到来を告げているようだ。夕闇が迫りはじめると、心なしか遍路さんも下山を急いでいるようだ。  本堂の左右に鶴が一羽ずつ対峙している。どちらが雌か雄か口うるさく、口を開いている方が雌だとか、境内を掃き清めている娘さんが笑って言っていた。  第二十番 鶴林寺  勝浦町大字生名字鷲ヶ尾14 電車/JR徳島線・徳島駅より徳島バス横瀬西行き・坂本行き・田野々行き・生名下車徒歩1時間半 車/徳島駅から国道55号線を南下。県道16号線を勝浦川沿いに走る 宿坊春・秋のみ 【第二十一番】舎心山 太龍寺 常住院 ——しゃしんざん・たいりゅうじ・じょうじゅういん 海抜六〇〇メートルの太龍寺山頂に建つ本堂、大師堂、拝殿が高野山と同じ配置で、古来「西の高野」と呼ばれる。また、遍路泣かせの難所でもある。弘法大師が二十四歳のときに著した『三教指帰《さんごうしいき》』に、ここの南舎心ヶ岳で求聞持法《ぐもんじほう》を修行したとあり、巨大な大師像が建立されている。本堂右の多宝塔は霊場屈指の名建築といわれる。  標高四七六メートル、ロープウェイを降りる。驚くのは四、五百年もたった巨大な天然の数え切れない杉の大木群だ。私の足もとに落ちている杉の葉は植林された杉のそれとは形が少し違う。大きく、太く少し丸っこいのだ。豪快な感じだ。  前景に目をやると、垂直かと思われる石段が私を引き込むように恐ろしく見えた。山の中、風の音が邪念を吹き飛ばすようにうなりつづける。冷たい空気をつれてすべてを凍らすがごとく冬も近い。  第二十一番 太龍寺  阿南市加茂町龍山2 電車/JR牟岐線桑野駅から徳島バス川口行き、和食東下車、ロープウェイ山麓駅まで徒歩10分 車/那賀川沿いに県道16号線を南西に進む 宿坊なし 【第二十二番】白水山 平等寺 医王院 ——はくすいざん・びょうどうじ・いおういん 本堂の前にいまも湧き続ける「弘法の水」、別名「開運の泉」の水を求める人は多く、その霊験もあってか、遍路で健康になった人たちがギプスや車イスを奉納する。堂塔は江戸時代に再建されたものだが、本尊・薬師如来は弘法大師の作。閻魔《えんま》堂には、極彩色の閻魔像ほか十王像が安置されている。  明るい陽差しの中、おばあさんと孫娘であろう二人は手を取り合って石段を一つ一つ上っている。おばあさんは杖を突き、娘はたすきがけの袋を肩にかけ、おばあさんの手足になっているようだ。娘は底の厚いぽっくりのようなくつをはき、何かしら派手な小物を洋服にくっつけている。笑顔はかわいい、横顔はどこか幼い。  おばあさんはうれしくてたまらない様子で、どこか誇らしげににこにこしている。境内はそれだけでなごんでいるようだった。  第二十二番 平等寺  阿南市新野町秋山117 電車/JR徳島駅から徳島バス川口行き、山口中下車またはJR牟岐線・新野駅より徒歩30分 車/JR新野駅から約3分 宿坊なし 【第二十三番】医王山 薬王寺 無量寿院 ——いおうざん・やくおうじ・むりょうじゅいん 厄除けの寺として広く知られる。女厄坂、男厄坂の石段下には薬師本願経の経文が刻まれ、石段を上るだけでご利益があるとされて、石段は賽銭で埋まっている。新旧二体の本尊・薬師如来があり、古いほうは「後向薬師如来像」として有名。  日和佐《ひわさ》桜町通り商店街を抜けた真正面に仁王門が見える。上方には、天地が和合し豊かさを表すといわれる瑜祇《ゆぎ》塔が一風変わった姿で見える。門をくぐり左にまわりこむように石段を上り、女厄坂といわれる石段を上ると線香の煙が体を包む。続く男厄坂の石段を上ると本堂。境内より瑜祇塔が赤い色を放ち、招くように立っている。  興味深い形をした建物だ。そばでじっと境内を背にたたずむ二人の男女。一人は日本人、一人は西洋の婦人。いつまでも日和佐の浜、土地の人々は大浜という亀の産卵地を静かに見つめているようだった。  第二十三番 薬王寺  日和佐町奥河内字寺前285‐1 電車/JR牟岐線・日和佐駅から徒歩10分 車/徳島ICから約1時間50分 宿坊あり 「修行の道場」戒律を守り、仏の道を実践する旅路 土佐の国十六ヵ寺 高知県  【第二十四番】室戸山 最御崎寺 明星院 ——むろとざん・ほつみさきじ・みょうじょういん 若き日の弘法大師が修行し、悟りを開いた場所。唐での修行を終えて帰国した大師は、再びこの室戸岬を訪れて本尊の虚空蔵菩薩を彫り、安置した。珍しい大理石の如意輪観音半跏像がある。足摺岬にある第二十六番・金剛頂寺が「西寺《にしでら》」と呼ばれるのに対し、「東寺《ひがしでら》」と呼ばれる。  太平洋を見ながら緑の道を上って行くと、室戸岬の山の上にこの寺がある。山門を入ると右に鐘楼堂、左に大師堂、奥に本堂、そして多宝塔。一見して荒々しくもの静か。海の風を受けているせいか木々にもどことなく、しなやかな気骨が感じられ、ざわざわとした風の音が気のせいか、よく似合っているようだ。  境内に安山岩の叩くとカーンと鐘のような音がする鐘石があったりする。なぜこのようなものがあるのだろう、不思議だった。土佐の国の僻地、この絶壁の山の上にある寺に、あらためて弘法大師・空海の思いを感じざるをえない。  第二十四番 最御崎寺  室戸市室戸岬町4058‐1 電車/JR土讃線・高知駅より高知東部交通バス甲浦行き、 スカイライン入口下車徒歩30分 車/南国ICから約2時間 宿坊あり 【第二十五番】宝珠山 津照寺 真言院 ——ほうじゅざん・しんしょうじ・しんごんいん 室津港にあり、地元では津寺《つでら》と呼ばれる。百二十五の石段を上りきると、太平洋の絶景が広がる。この地域は、開創当時も漁業が盛んで、大師が航海の安全を願って本尊の延命地蔵菩薩を刻み、伽藍を建てたのが始まり。本尊の地蔵菩薩は別名「楫取《かじとり》地蔵」と呼ばれ、漁業関係者の厚い信仰を集める。  短い参道は漁港の村の横丁といった趣で、日々の生活と密着した音と匂いは急な石段と中国風の門の風貌と、年月を経て違和感なくマッチしているかのようだ。石段の勾配はきつい。土地の人々には健康のため丁度良い運動場であろうか。  踊り場に着くと、数段で本堂だ。いつも海が見える、いや海を見ているお寺なのだろう。  第二十五番 津照寺  室戸市室津2644 電車/JR土讃線・高知駅より高知東部交通バス甲浦行き、室戸営業所下車徒歩10分 車/南国ICから約1時間40分 宿坊なし 【第二十六番】龍頭山 金剛頂寺 光明院 ——りゅうずざん・こんごうちょうじ・こうみょういん 室戸近辺随一の大寺。江戸時代には、土佐藩主・山内家の勅願所になり、京都、奈良の大寺院にも負けない規模を誇っていたが、惜しくも明治の大火で焼失した。宝物殿には、大師遺品の旅壇具をはじめ重文七点が収蔵されている。境内にはクジラの博物館「鯨昌館」もある。  境内で近所の人々が清掃に励んでいる。年輩の婦人三、四人が寺の小屋の屋根にかかる枝を切ろうと、あれこれトライしている。その姿は何とものんびりとして、人のよさそうな人たちだ。自らの危険より、取りのぞきたい気持ちが伝わってくる。大切にしているのだろう。くったくのない笑顔に救われる。  挨拶をかわし、また黙々と体を動かす。いつもながら信仰の篤い人々に守られていることを実感する。  きれいな笑顔の人が、奴さんの形をしているという天然記念物のヤッコソウ(奴草)を教えてくれた。  第二十六番 金剛頂寺  室戸市元乙523 電車/JR土讃線・高知駅より高知東部交通バス甲浦行き、元橋下車徒歩30分 車/南国ICから約1時間30分 宿坊あり 【第二十七番】竹林山 神峯寺 地蔵院 ——ちくりんざん・こうのみねじ・じぞういん 土佐路の関所寺。いまでこそ車でも行けるが、参道には「真《ま》っ縦《たて》」といわれる急坂が一キロ余りも続く。山門をくぐっても本堂、大師堂まで百五十五段の石段が続くが、両脇を飾る日本庭園は花の名所。季節の折々に梅やツツジが目を楽しませてくれる。本尊は行基作と伝えられる秘仏の十一面観世音菩薩。  眼下に広がる海を見ながら、棚田の脇道をいくつもいくつも上り、さらに山の奥へ奥へと上る。  薄暗くなった山の寺は境内も上へ下へと平らかではない。弘法大師の像も歩いている険しい寺だ。小雨の降りしきる中、遍路さんも足早に駆け抜ける。  マイクロバスの案内人は傘をたばねて遍路さんを追っていた。  第二十七番 神峯寺  安田町唐浜2594 電車/JR土讃線・高知駅より高知東部交通バス甲浦行き、東谷入口下車徒歩1時間30分 車/南国ICから約1時間10分 宿坊なし 【第二十八番】法界山 大日寺 高照院 ——ほうかいざん・だいにちじ・こうしょういん 天平年間に行基が創建し、荒れ果てていたが弘法大師が再興した。そのとき大師が爪で薬師如来像を彫った霊木が奥の院に安置されており、目・耳・鼻・口など首から上の病気に霊験があると信仰を集めている。また、奥の院への林道には「大師の加持水」と呼ばれる名水が湧いている。  小高い山の小道をまわるように上り、山門に着く。さほど幅広くない古い岩石で作られたなだらかな石段を上る。左に鐘つき堂、正面に本堂、本堂左に大師堂、右に地蔵菩薩がある。岩石でできている石段や仏の台座はこの寺の持ち味である。大師堂横の石仏群や本堂、左奥の小さいお堂、いずれも岩の感触はとてもいい。誰もいない境内は静かで透明感にあふれ、石垣がキラキラと光っているように思えた。  第二十八番 大日寺  野市町母代寺476 電車/JR土讃線・高知駅より土佐電鉄バス龍河洞行き、大日寺前下車徒歩5分 車/南国ICから約25分 宿坊なし 【第二十九番】摩尼山 国分寺 宝蔵院 ——まにざん・こくぶんじ・ほうぞういん 土佐の国分寺として建立された。聖武天皇自ら金光明最勝王経《こんこうみようさいしようおうきよう》を写経して納め、勅願所に定めた。本堂は戦国大名の長宗我部国親・元親親子が寄進し、重文指定。東一キロほどの場所に土佐の国庁跡があるが、歌人・紀貫之が国司として四年を過ごしたのがこの地で、都への五十五日の紀行を綴ったのが『土佐日記』である。  こけらぶきの本堂、左に並ぶ大師堂は威風堂々として見るものを圧倒する。天地に向って垂直にのびた杉の木々に光があたっている。規則正しく落した影が美しい。境内にきちっとした緊張感と凜とした趣を与えている。つつましやかでどこかおくゆかしい光景だ。  境内を掃き清めている年輩の婦人の話しぶりがとても丁寧でしとやかだ。  境内から仁王門を通してみる寺への道は、参道の感はせず、もの静かな田園の懐かしい風景にあふれ、私の琴線を震わすのに充分だった。  第二十九番 国分寺  南国市国分546 電車/JR土讃線・後免駅より土佐電鉄バス領石行き・植田行き/国分寺通下車徒歩5分 車/南国ICから約5分 宿坊なし http://www.tosakokubunji.org/ 【第三十番】百々山 善楽寺 東明院 ——どどさん・ぜんらくじ・とうみょういん 土佐一の宮の別当寺院として建立。明治の神仏分離で廃寺となり、本尊を遷座《せんざ》した安楽寺が札所とされたのだが、昭和になって善楽寺も復興された結果、三十番札所が二つになった。本家争いを経て、平成六年に安楽寺を「三十番札所奥之院」とし、どちらをお参りしてもよいことになった。「梅見地蔵」は学問や心の病《やまい》にご利益がある。  土佐一の宮神社への一直線のそれは見事な参道だ。昔日のにぎわいを彷彿させる。神社への鳥居の手前を右に曲がるとこの寺がある。  神社も寺も参道も一体になって広い境内は神社とともにオープンそのものだ。あたりまえのように子供、家族、近在の人々、人の憩う場所がここにある。犬も首にひもをつけたまま走っている。  第三十番 善楽寺  高知市一宮2501 電車/JR土讃線・高知駅より高知県交通バス領石行き・奈路行き・田井行き、一宮神社下車 車/高知ICから約5分 宿坊なし 【第三十一番】五台山 竹林寺 金色院 ——ごだいさん・ちくりんじ・こんじきいん 眼下には高知市外、桂浜が見下ろせる景勝の地に建つ。夢窓国師の手になる鎌倉時代の池泉回遊式の庭園や県内唯一の五重塔など見所が多い。国宝の本尊・文殊菩薩は五十年に一度開帳の秘仏。  門前の店、大勢の遍路さんで賑わっている。食事する人、アイスクリームを食べている中年の婦人たち、体を患っている子と座る親子。気遣いがあたりまえの姿、すべての人々に不自然さのない姿。都会で暮らす日々を思うと、ときおり不思議な気持ちがする八十八ヵ寺巡りである。  堂々とした境内は、たくさんの人たちでいっぱいだ。お山にあるこの寺は時に惑わされず、いつも人々を遇してきたのだろう。本堂の右に大イチョウ、左に楠の木と椎の木が一体になっている珍しい木がある。縁結びの木といわれている。見つめている若い男女の後ろ姿が前屈みになっていた。本堂前広場から見える五重塔は木々にゆれてキラキラと光っている。  第三十一番 竹林寺  高知市五台山3577 電車/JR土讃線・高知駅よりバスターミナル(はりまや橋)へ。竹林寺行きバスで竹林寺正門前下車 車/高知ICから約25分 宿坊なし 【第三十二番】八葉山 禅師峰寺 求聞持院 ——はちようざん・ぜんじぶじ・ぐもんじいん 峰山という小高い山の頂上にあり、眼下には太平洋が広がる。山容が八葉の蓮台に似ているのが山号となり、院号は弘法大師が虚空蔵求聞持法の修行をしたことにちなむ。本尊の十一面観音は「船魂《ふなだま》の観音」といわれ、海上安全の祈願に尊崇を集めている。本堂前に、芭蕉の「木枯に岩吹とがる杉間かな」の句碑がある。  土佐湾から太平洋を一望できる小高い岩だらけの丘の上にこの寺がある。岩といっても奇岩に近いイメージがある。常に海を見おろしている感のある寺は、それでも何となくかわいげがあり、明るさを感じる。  いつも風を吹かし吹かれているような飄々とした我関せずの趣だ。仁王門の入口にベンチが。中年夫婦の遍路二人、その前には不動明王、心に何を期するのか長い長い間じっと座って見ていた。  第三十二番 禅師峰寺  南国市十市3084 電車/JR土讃線・後免駅より土佐電鉄バスはりまや橋行き・旭駅前通行き・桟橋倉庫行き、峰寺下車徒歩20分 車/高知ICから約45分 宿坊なし 【第三十三番】高福山 雪蹊寺 ——こうふくざん・せっけいじ もとは高福寺と称して真言宗の寺院であったが、永禄の頃、長宗我部元親が臨済宗に改め、元親の没後、墓所とする際に改称した。明治の廃仏毀釈で廃寺となったが、名僧・山本太玄が復興した。運慶作の本尊・薬師如来、湛慶作の毘沙門天など、鎌倉仏の宝庫として知られる。  境内に入ると右手に大きな鐘つき堂、そしてほぼ中央に存在感のある御《お》手水《ちようず》鉢《ばち》がある。不思議に早く行って手足を清めたいと思う場所である。  大師堂のすばらしさは、いやでも人々の心を惹きつける。重厚で包容力のある姿は時を超えて生きているもののようだ。少し奥に質素でおとなしそうな本堂が、陽の光を浴び、日なたぼっこでもしているような和《なご》やかなたたずまいをただよわせていた。たわわに葉をつけた銀杏の木の下、色とりどり大、中、小のエプロンをつけた数十体の石仏たちがゆったりと並んでいる。  第三十三番 雪蹊寺  高知市長浜857‐3 電車/JR土讃線・高知駅より高知県交通バス桂浜行き、長浜営業所下車徒歩30分 車/高知ICからはりまや橋方面へ。はりまや橋から約30分 宿坊なし 【第三十四番】本尾山 種間寺 朱雀院 ——もとおざん・たねまじ・しゅじゃくいん 八十八ヵ寺の中でも有数の古刹《こさつ》。六世紀後半、大坂の四天王寺が竣工し、百済《くだら》から来ていた寺匠たちが帰国する途次に暴風雨に遭い、この地に避難した。一行の仏師たちが航海の安全を祈って薬師如来を刻んで安置したのが寺の始まり。百済の仏師作の本尊・薬師如来は国宝ながら、「安産の薬師さん」と親しまれている。  小高い山のふもとの田園地帯、広い門前は畑の延長のよう。対照的に左わきの参道であろう小径を数十歩進む。右に大師堂、はす向いに子育観音、奥に本堂、鈴にぶら下ったたくさんの願いの布切れは人々の信仰の厚さであろうか。次々にやってくる遍路さんたち。小径の入口にある大師の歩き出した姿の像に遍路さんの姿を重ねていた。  第三十四番 種間寺  春野町秋山72 電車/JR土讃線・高知駅より高知県交通バス秋山行き、種間寺前下車 車/伊野ICから約30分 宿坊なし 【第三十五番】医王山 清瀧寺 鏡池院 ——いおうざん・きよたきじ・きょうちいん 厄除け祈願の名刹。参道には、八十八ヵ寺の中でも難所に挙げられる「流汗坂」がある。平城《へいぜい》天皇の第三皇子で弘法大師の高弟・高岳《たかおか》上人ゆかりの寺として知られる。上人は自分が死んでも魂は戻ると、ここに逆修《ぎやくしゆ》塔を建てて唐に渡り、天竺(インド)で亡くなった。その場所は「入らずの山」といわれ、逆修塔は生前墓の発祥とされている。  山の道を幾すじもくねくねとみかん畑を縫うように登る。やっと山門に入り、石段を上って行く。と左手に厄除薬師如来像が見えて来る。その右正面に本堂がせり上るような形で姿を現す。  境内に入ると巨大な如来像が本堂の少し斜め前に立っている。温かい風貌のためかどこか空気が和み、不思議な安堵感をただよわせている。人々は厄除けのために薬師如来像のすその地下への入口に入り、中を一巡して出て来る。何となくほっとしたいい顔をして。  第三十五番 清瀧寺  土佐市高岡町丁568‐1 電車/JR土讃線・高知駅より高知県交通バス高岡行き・須崎行き、土佐市役所前下車徒歩50分 車/伊野ICから約1時間 宿坊なし 【第三十六番】独鈷山 青龍寺 伊舎那院 ——どっこざん・しょうりゅうじ・いしゃないん 本尊の波切不動明王は、入唐《につとう》の折に暴風雨に遭遇した大師が、波を静めて救ってくれた不動明王の姿を刻んだものと伝えられる。海上安全、豊漁を祈願する漁業関係者の信仰が厚い。  やや山頂の緑深き中、陽の光はまだない。山深く入りこんだこの寺はまだ覚めやらぬ。石段をゆっくり上る。仁王門がある。光のない仁王門はまだ眠っているように見える。左に三重塔。山門をくぐると石段の左右にはお堂と石仏たちが並ぶ。  行場の滝の水がほとばしる所を横目に、さらに歩を進める。古い石段は上るごとに本堂の姿を少しずつ見せてくれる。そして目に入るのは波切不動尊の文字、本堂の右に左に立ち並ぶ不動明王。いかにもこの寺を守っているかのようだ。手を合わす二人の若い夫婦。同じ綿の帽子をかぶり、二体の不動明王のように仲がよい。  第三十六番 青龍寺  土佐市宇佐町竜163 電車/JR土讃線・高知駅より高知県交通バス宇佐行き、スカイライン入口下車徒歩20分 車/伊野ICから約50分 宿坊なし 【第三十七番】藤井山 岩本寺 五智院 ——ふじいさん・いわもとじ・ごちいん 観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩、不動明王と本尊が五体もあるのは、八十八霊場はもとより、全国でもここだけといわれる。年に三度も実る「三度栗」、磯の貝が花びらになったといわれる「桜貝」など、弘法大師にまつわる七不思議が伝えられている。  うす暗くなった両側の店も閉まった参道を歩き、石段を少し上り仁王門に入ると、鐘つき堂がイチョウの木を従えるようにある。ハラハラとイチョウの葉が舞う風情は、黄色の蝶々のように夕闇を誘う。  寺の奥からガタンゴトォンと聞き覚えのある電車の音、鉄道が走っているのだろう。夫婦づれの遍路さん、メモをとりとり行く寺々を前後して行き会った。きょうの宿はと語り合う、言葉がやさしい。  すっかり暗くなった空には満天の星が輝き、見知らぬ今夜の宿へといざなうように思えた。  第三十七番 岩本寺  窪川町茂串町3‐31 電車/JR土讃線・窪川駅徒歩15分 車/窪川駅から約3分 宿坊あり 【第三十八番】蹉〓山 金剛福寺 補陀洛院 ——さださん・こんごうふくじ・ふだらくいん 岩本寺からは一二〇キロと霊場間の距離としては最長。土佐西端の足摺岬に建ち、広大な境内に亜熱帯植物が茂る。この地は、観音浄土「補陀洛」への東の門とされ、弘仁十三年(八二二)、嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅額を授かった弘法大師が、この地に建立した。本尊の三面千手観世音菩薩も補陀洛を向いているという。  足摺岬の海のそば。きっと断崖の上に、少し山手の方に建立されたのであろう。松の木がよく似合う寺だ。太陽の光がさんさんと松の木に、枝に差しこみ、おりなす影は境内をまだらに染めている。まるで印象派の影のように。  行きかう大勢の人々にも観光色の影があった。  第三十八番 金剛福寺  土佐清水市足摺岬214‐1 電車/土佐くろしお鉄道・中村駅より高知西南交通バス足摺岬行き、終点下車徒歩15分 車/中村駅より約1時間15分 宿坊あり 【第三十九番】赤亀山 延光寺 寺山院 ——しゃっきざん・えんこうじ・じさんいん 行基が創建、本堂の薬師如来も行基の手になる。桓武天皇の延暦十四年(七九五)、弘法大師が勅願所として再建して日光・月光菩薩を刻み、七堂伽藍を整えた。延喜十一年(九一一)の銘を持つ県内最古の梵鐘は、竜宮の赤亀が背負って現れたという伝説の鐘で、山号の由来ともなっている重要文化財。  小さい「眼洗い井戸」のお堂が人々を引きつけている。わずか一〇センチ四方くらいの井戸であろうか。何ともいえず、興味深い。心地よい広さを有している境内は、種々の大木が宿り、落ち着きのある風情をかもし出している。  お遍路さんものんびりと歩き、鈴をならす姿に悠久の時が未来永劫に続くかと思われる。山門近くの赤亀の姿は、いっそうの穏やかな静けさを与えていたように感じた。  第三十九番 延光寺  宿毛市平田町中山390 電車/土佐くろしお鉄道・中村駅より高知西南交通バス片島行き、寺山口下車徒歩10分 車/土佐くろしお鉄道・宿毛駅から約15分 宿坊あり 「菩提の道場」煩悩を断ち切り、悟りに目覚める旅路 伊予の国二十六ヵ寺 愛媛県  【第四十番】平城山 観自在寺 薬師院 ——へいじょうざん・かんじざいじ・やくしいん 一番札所の霊山寺から、最も離れていることから、四国霊場の「裏関所」とも呼ばれる。平城、嵯峨天皇が親しく行幸し、毎年勅使を派遣するなど、尊崇厚く、この地を平城と呼ぶことになった。弘法大師が山中で発見し、本尊・薬師如来を刻んだ残りの霊木で彫った宝判が寺宝となっており、その写しは厄除けのご利益があるという。  一直線にどこまでものびた道。つき当る所に仁王門が見える。もの静かな宿が並ぶ参道。少しだけ歩く。数歩石段を上り門をくぐる。まっすぐ本堂へ。  途中「栄かえる」と命名されたかえるの像がかわいい姿で後ろに小さい池をしたがえ、いま池から飛び上って来たような格好でいる。願いをこめてひとなでしたら、動いたような気がした。三々五々、遍路さんが往来する境内の大きく古い榎が風に吹かれてゆらいでいた様子は、冬のお知らせだろうか。  第四十番 観自在寺  御荘町平城2253‐1 電車/JR予讃線・宇和島駅より宇和島バス城辺行き・宿毛行き、札所前下車徒歩3分 車/JR字和島駅から約50分 宿坊あり 【第四十一番】稲荷山 龍光寺 護国院 ——いなりさん・りゅうこうじ・ごこくいん 言い伝えでは、五穀大明神の化身を見た大師がお堂を建てて、稲荷大明神と名づけ、四国霊場の総鎮守とした。五穀豊穣と商売繁盛の神様として信仰を集めたが、明治の神仏分離で、旧本堂が稲荷神社として独立。その下に新本堂が建てられたのだが、いまも地元の人からは、「三間《みま》のお稲荷さん」と親しまれている。  門前の広場で一人の歩き遍路に会った。心身を病み、妻子と別れて巡礼をしている。それでも自身におごりを感じ、人のために何かできることをと、遍路地図を作成中とのこと。和らいだ笑顔にエールを送る。  鳥居をくぐると、まっすぐ上に見えるは赤い鳥居の稲荷神社。そのすぐ前の左右には大師堂、本堂がある。小高い山を背にした緑深い山間の寺に、青い空がきわだって輝いて見える。  第四十一番 龍光寺  三間町字大戸雁583‐1 電車/JR予土線・伊予宮野下駅下車徒歩20分 車/JR予讃線・卯之町駅から約40分 宿坊なし 【第四十二番】一山 仏木寺 毘盧舎那院 ——いっかざん・ぶつもくじ・びるしゃないん 仁王門をくぐると珍しいワラぶきの鐘つき堂がある。本尊は大日如来で、地元では「大日さん」と呼ばれて、疱瘡《ほうそう》除けと牛馬家畜の守り仏として信仰が厚く、寺ではいまもその守り札を出している。檜の寄木《よせぎ》造りの弘法大師像は、正和四年(一三一五)の銘が入り、大師像としては日本最古のもの。  雨上りの朝、静寂に包まれた境内。誰もいない境内の一本のもみじにシジュウカラであろうかチ、チ、チ、と小鳥が数十羽むらがり何かをつついている、そんな音だけが聞こえてくる。微風が境内にそよぐひととき、とてもさわやかな気分だ。  この寺は鳥が多いと、毎日寺を掃除するという中年の男性の指さす山門には、金色に輝くように付着しているセミのぬけがらが数個キラキラと光っていた。少し奥にあるワラぶきの鐘つき堂がひときわ存在感を誇示しているようだった。  第四十二番 仏木寺  三間町字則1683 電車/JR予讃線・宇和島駅より宇和島バス仏木寺行き・成妙行き、仏木寺下車すぐ 車/JR予讃線・卯之町駅から約30分 宿坊なし 【第四十三番】源光山 明石寺 円手院 ——げんこうざん・めいせきじ・えんじゅいん 寺伝によると歴史は古く、欽明天皇の時代に創建され、天平六年(七三四)に行者・寿元が修験道道場として建立し、栄えた。その後、荒れ果てていた霊場を弘法大師が再興し、建久五年(一一九四)、源頼朝がお堂を建てた折に、それまでの現光山の山号を源光山に改めたという。大師の行場跡の「弘法井戸」が残る。  どこかのお坊さんが少し乱暴な運転で寺の駐車場に入って来た。  恰幅の良いどこかキリリとした人物である。案内をしているのであろうか、三人の遍路さんと足早に山門に向う。山門につるされた灯火行灯がゆらゆらとゆれる。石段奥の本堂からはゆれるようにうたうお経の声が遍路の鈴の音と交わり、震えるように泣いていた。  帰りぎわ、あのお坊さんがキリッとした目で私に手を合わせ一礼した。  第四十三番 明石寺  宇和町明石201 電車/JR予讃線・卯之町駅より宇和島バス田の中行き、明石下車徒歩4分 車/JR卯之町駅より約4分 宿坊あり 【第四十四番】菅生山 大宝寺 大覚院 ——すごうざん・たいほうじ・だいかくいん 霊場では唯一、年号を寺号とする。保元年間(一一五六〜一一五九)に後白河法皇が勅使を送り、病気平癒を祈願して全快したため、妹宮を住職として、寺を再興した。盛時には、山内に四十八坊を数えたという。参道の老杉、檜の美林など一円が指定名勝地となっている。  参道が杉木立を回り込む最後の曲がり角にある、古い石にレリーフされた指さす手形の道しるべが視線をとらえる。目が悪い人でも、さわると方角がわかる。八十八ヵ寺のいたるところにある石の道標が心強くも優しい。  大師堂の格子戸中央に、真新しい赤ん坊のよだれ掛けが吊るされていた。似たようなものが沢山あるのだが、それはひときわ輝いて見えた。一瞬、立ちすくんでしまった。木漏れ日の射す木立に、風が優しく吹き渡る。そばの灯明台に、ろうそくの炎がゆらゆらと輝くさまは、異次元の世界だったのだろうか。  第四十四番 大宝寺  久万町字菅生1173 電車/JR予讃線・松山駅よりJRバス久万行き・落出行き、久万高原下車徒歩30分 車/松山ICから約1時間 宿坊あり 【第四十五番】海岸山 岩屋寺 ——かいがんざん・いわやじ 岩峰の山裾にあり、巨岩、奇峰の中に境内がある。山中には、大師の霊跡が多く残る。「穴禅定《ぜんじよう》」と呼ばれる洞窟には大師が掘った「独鈷の霊水」が湧き、大師堂から鉄鎖をよじ登る「逼割《せりわり》禅定」もある。  寺の入口で奈良からの遍路三人連れと会った。中の一人、初老の人は、十五歳から三十回も巡っているという。一緒に昼のうどんを食べる。さわやかな思いを残し別れた。  きつい坂道と石段がジグザグと続く。行きかう人々と挨拶をかわし、励ましあう。長い人生の縮刷版のように時が過ぎて行く。途中の山門に座り込み祈る若い遍路さんが気になる。帰り道にも、いつまでも座っている。大師堂の近いところに古い山門が。ここが本来、寺の入口だったのだろうか、しばし思う。そんな時、若い歩き遍路が飛ぶように山門に駆けこんできた。  第四十五番 岩屋寺  美川村大字七鳥1468 電車/JR予讃線・松山駅よりJRバス久万行き・落出行き、久万高原乗り換え、面河行きバス岩屋寺前下車徒歩20分 宿坊休業中(近くに国民宿舎あり) 【第四十六番】医王山 浄瑠璃寺 養珠院 ——いおうざん・じょうるりじ・ようじゅいん 和銅元年(七〇八)、奈良の大仏開眼に先立って、伊予に仏教宣布に来た行基が伽藍を建立。本尊・薬師如来を彫って安置、薬師如来のいる浄瑠璃浄土を寺号とした。大同二年(八〇七)、弘法大師が伽藍を再興、寺観を整えた。境内入口には、正岡子規の「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」の句碑が立つ。  道路より数歩石段を上ると、木漏れ日が織りなす光景がまぶしい。奥の本堂へと誘われる。さほど広くない境内には、樹齢千年を越す大師のお加持の木をはじめ、杉、イチョウなど、うっそうとして太陽の陽光と踊っているようだ。奥深く鎮座する大師像より糸がのびている。参拝する人々と心を通わすよう鈴の音を鳴らす糸を引く遍路の姿、ほほえましい。  第四十六番 浄瑠璃寺  松山市浄瑠璃町282 電車/伊予鉄道・松山市駅より伊予鉄バス丹波行き・久谷行き、浄瑠璃寺前下車すぐ 車/松山ICから約25分 宿坊なし 【第四十七番】熊野山 八坂寺 妙見院 ——くまのざん・やさかじ・みょうけんいん 修験道の祖・役小角が開基の古刹。紀州から熊野権現を勧請《かんじよう》して十二坊、末寺四十八ヵ寺を持つ大寺院として栄えたが、たびたびの兵火、火災で今日の姿になった。本尊・阿弥陀如来は、平安期の名僧・恵心僧都《そうず》の作と伝えられるが秘仏で、次の開帳は二〇三四年になる。本尊・阿弥陀如来と毘沙門天は重文。  朝早くきらきらと輝く陽光の下、近所の人かと思われる老夫婦が静かに手を合せている。線香の煙をたなびかせ何を祈っているのであろうか、ふと人間《ひ と》を想い、過去を想い、自責の念がよぎる。人気《ひとけ》のない一時、ゆっくりと二人手をたずさえて石段を降りていった。大きなイチョウが黄金一色に映え、お二人にとてもなじんでいた。  境内から見おろす細長い参道、そして山あいの村落が静かにとても美しい。  第四十七番 八坂寺  松山市浄瑠璃町八坂773 電車/伊予鉄道・松山市駅より伊予鉄バス丹波行き・久谷行き、八坂寺前下車徒歩3分 車/松山ICから約20分 宿坊なし 【第四十八番】清瀧山 西林寺 安養院 ——せいりゅうざん・さいりんじ・あんよういん 寺院は川の土手より低い位置にあり、石段を下って山門を入ると正面に本堂がある。右手に閻魔堂があり、伊予の関所寺であったことを偲ばせる。閻魔堂前には「孝行竹」があり、家庭円満のご利益があるという。境内の一角にある杖の渕公園には、日本名水百選に選ばれている湧水がある。  ここに来ると、どことなく松山城下の香りがする。いつからあるのか、仁王門の前に川が流れ、西林橋と名づけられた橋が待っていた。石造りの丸い欄干があり、太鼓橋になっている。渡ると右手に白い地蔵が迎えるように待っている。さほど広くない境内にあふれる木立の影が絶妙の心地よさを醸し出していた。  第四十八番 西林寺  松山市高井町1007 電車/伊予鉄道・久米駅より伊予鉄バス松山行き、西林寺前下車すぐ 車/松山ICから約15分 宿坊なし 【第四十九番】西林山 浄土寺 三蔵院 ——さんりんざん・じょうどじ・さんぞういん 天平勝宝年間(七四九〜七五七)、恵明上人が開基。文明十三年(一四八一)に豪族・河野通宜の手で再興された。本堂は和唐様折衷の代表的なものとされ、重文に指定されている。浄土宗の開祖・円光大師、二世・聖光上人、三世・良忠上人自作像があったところから三蔵院とも呼ばれる。自刻と伝えられる重文の空也上人像もある。  こぢんまりとした村落にすっくと立ち上るように存在する浄土寺は、こぶりながらどこか威厳を感じる。仁王門に至る石段、くぐるとまっすぐ本堂への石段を上る。開けた広場、バランスのよい空間は、幾たびか私を感服させる。季節によってはどうだろう。雨の日は、雪の日も見たい。限りない想像の楽しみを与えてくれる。幸せなひとときだ。  第四十九番 浄土寺  松山市鷹子町1198 電車/伊予鉄道・久米駅より徒歩7分 車/松山ICから約40分 宿坊なし 【第五十番】東山 繁多寺 瑠璃光院 ——ひがしやま・はんたじ・るりこういん 伊予の豪族・河野家に生まれた時宗の開祖・一遍上人は、この寺で長く修行したという。鎌倉時代には勅命により、襲来した蒙古退散の祈祷を聞月上人が行った。皇室の菩提寺である京都泉涌寺の快扇宗師が住職となってから、高僧が歴代住職を務め、名刹として知られるようになった。歓喜天は厄除け、商売繁盛、合格祈願の参拝客が絶えない。  市街地を見おろす高台の絶好なロケーション。まるで絵に描いたような姿である。山門の前の石段に猫がいる。じっとしている。時おり方向を変えている。ほとんど寝ているようにしている。何を思っているのだろうか。人々がそばを行き来している。それでも我関せずに見える。聞くとずっとそうらしい。ここは松山だ。漱石の「吾輩は猫」なのであろうか。いや繁多寺の猫である。  第五十番  繁多寺  松山市畑寺町32 電車/伊予鉄道・久米駅より津田団地線バス繁多寺口下車徒歩10分 車/松山ICから約40分 宿坊なし 【第五十一番】熊野山 石手寺 虚空蔵院 ——くまのざん・いしてじ・こくうぞういん 松山一の大寺で、「お大師さん」と親しまれている。境内には、本堂、仁王門、三重塔、鐘楼堂、梵鐘といった国宝をはじめ、見所は多い。  はなやいだ参道、行き交う参拝者の瞳は屈託がない。仁王門で写真を撮る人、みやげ物を物色する人、親子連れ、バスツアーの仲間たち、どこか華やいだ空気が充満する。美しい塔、側に建つ鐘楼の姿は、これはこれで良いと思う。何となく元気が出る。  人々の波。その空気は、スーパーやデパート、町の喧躁とはまったく違う。この違いは何だろうかと線香の煙の中でぼんやりと考えるが、とにかく人々は楽しそうに見える。じっと座っていても、何の圧力も感じないし、違和感も覚えない。  土塀を隔てた小径に入ってみる。朽ちかけた漆喰の塀が清楚な佇まいを醸《かも》し出している。脇にある甘酒店の棒にくくりつけた旗が風に揺らいで美しかった。  第五十一番 石手寺  松山市石手2‐9‐21 電車/JR予讃線・松山駅より伊予鉄バス奥道後行き・湯ノ山ニュータウン行き、石手寺前下車すぐ 車/松山ICから約40分 宿坊は歩き遍路素泊まりのみ http://home.interlink.or.jp/~ishiteji/ 【第五十二番】瀧雲山 太山寺 護持院 ——りゅううんざん・たいさんじ・ごじいん 用明天皇二年(五八六)に真野という長者が創建したとも伝えられる古刹。行基作の本尊・十一面観世音菩薩はじめ後冷泉天皇以下、六帝の勅願による六体の十一面観世音菩薩が安置されている(いずれも重文)。国宝の本堂は、鎌倉時代の建立。松山港に近く、九州や中国地方から船で入るお遍路には、ここが札所巡りの玄関口になる。  山を一気にかけ上るように奥に入る。急な石段を上ると巨大で剛直な仁王門がまるで弁慶のように立ちはだかっている。門の格子に目をやると、一〇センチくらいの色あざやかな緑色のわらじがたくさん吊るされている光景が異彩を放っていた。足が悪い子供のための願いなのか、それともお礼のしるしなのか、思わず息をのむ美しさだった。  門をくぐると威風堂々たる本堂。奥から灯明を放って美しい。  第五十二番 太山寺  松山市太山寺町1730 電車/JR予讃線・松山駅より伊予鉄バス太山寺行き、終点下車すぐ 車/松山ICから約35分 宿坊なし 【第五十三番】須賀山 円明寺 正智院 ——すがさん・えんみょうじ・しょうちいん 慶安三年(一六五〇)に奉納された現存する最古の納札があり、「四国仲遍路同行二人今月今日平人家次」と刻まれている。本堂の龍の彫り物は、名工・左甚五郎作と伝えられる。  どこにでもある庶民と共に在《あ》る感じの寺である。門前の道路は車や人の往来が多く、まさしく生活感あふれる中にある。小ぶりの仁王門をくぐると中に門、そして本堂。道路からすべてが見通せる風景には心温まる香りがある。  母子三人が御手洗にて水遊びに戯れる姿はほほえましい。寺の鈴のひもに懸命に手をのばし引きよせたり、賽銭箱にお金を入れたり、手を合わせちょこんと一礼する幼児の格好は大人のそれと変らない。  こうして私も馴染んできたのであろう。この境内にもイチョウの木が、柔らかに色をつけ、そして大師堂の裏奥にはキリシタンの灯籠がひっそりとあった。  第五十三番 円明寺  松山市和気町1‐182 電車/JR予讃線・伊予和気駅より徒歩5分 車/松山ICから約30分 宿坊なし 【第五十四番】近見山 延命寺 宝鐘院 ——ちかみざん・えんめいじ・ほうしょういん 来島《くるしま》海峡を見下ろす近見山の麓にある。往時は七堂伽藍が甍《いらか》を連ね、百坊が谷々にあって、信仰と学問の中心道場だったが、度重《たびかさ》なる兵火に焼かれた。今治城の城門だった山門、院号の由来となった音色の美しい梵鐘は有名。境内には、あせびの木が多く、春の彼岸頃から一ヵ月ほど、可憐な花をつける。  バイパスより見える小高く、なだらかな山に入ると、ふだん着のような寺である。境内に並んだ土産店には今治特産のタオルが目につく。 「お接待です」と言われてタオルをいただく。縁日のような感じだが、本堂に向かうこの参道は明るくかわいい。仲の良さそうな和歌山からの中年婦人のグループに、このお寺はよく似合ってほほえましい。参道より横に続く短い石段が木立のトンネルになって緑に包まれている。上ると大師堂がある。ちょっとした風景だが、私は好きだ。  第五十四番 延命寺  今治市阿方甲636 電車/JR予讃線・今治駅より瀬戸内バス星の浦行き・菊間営業所行き、阿方下車徒歩10分 車/今治ICから約5分 宿坊なし http://www1.pasutel.co.jp/otera/enmeizi/ 【第五十五番】別宮山 南光坊 金剛院 ——べっくさん・なんこうぼう・こんごういん 札所でただひとつ「坊」がつく。伊予水軍の祖が大山祇神社の別宮として創建した八坊のひとつ。天正の兵火に焼かれたが、慶長年間(一五九六〜一六一五)に領主・藤堂高虎の祈願所となり、江戸時代には久松藩主からも信仰を得て栄えた。昭和二十年の空襲で灰燼《かいじん》に帰した本堂は昭和五十六年に再建され、山門は平成十三年末に竣工。  早朝、一生懸命に竹ぼうきで掃いている、雑巾がけもしている。そんな人に会った。朝、仕事に行く前の日課だという。私はお寺関係の人かと思い、挨拶をした。彼は私の古里近くの出身の人。どこのお寺にもベタベタと貼ってある紙のお札のことを説明してくれた。古き時代は木片に願いを書いて打ちつけていたのが、次第に紙に変わり、貼り重ねられた人々の願いの歴史。いつの時代も人の願いは尽きずに営々と続いていくのでしょう。  第五十五番 南光坊  今治市別宮町3‐1 電車/JR予讃線・今治駅より徒歩10分 車/今治ICから約7分 宿坊なし http://www1.pasutel.co.jp/otera/nankobo/ 【第五十六番】金輪山 泰山寺 勅王院 ——きんりんざん・たいさんじ・ちょくおういん この地を流れる蒼社川《そうじやがわ》は、たびたび氾濫した。それを見た弘法大師が土手を築いて洪水を防ぎ、本尊の地蔵菩薩をまつるため建立。この寺では、千枚通御符が有名。「南無延命地蔵菩薩諦悟」と書かれた薄紙を飲めば、万病に効くといわれる。  石で築かれた城壁の上にあるようなお寺。入口の石段に至るまでの七〇メートルくらいは参道であろうか。小さい車がやっと通れるくらいの道幅の何げない小径が実になつかしく、幼い時のぼんやりとした記憶を呼び起す。少し前までフナやメダカがいただろうと思う小川を、ひとまたぎする。小径の入口に少し小さいお堂と小さいお堂が仲良く並んでいる。いつ頃のであろうか。少しの傷《いた》みが、かえっていとしくけなげな様子だ。泰山寺の地蔵さんをまつっているという。土地の人が手を合わすのであろう。小銭とおそなえの花が小ぎれいにそえてあった。  とてもさわやかで気持がいい。  第五十六番 泰山寺  今治市小泉1‐9‐18 電車/JR予讃線・今治駅より瀬戸内バス鈍川行き、小泉下車徒歩7分 車/今治ICから約3分 宿坊あり 【第五十七番】府頭山 栄福寺 無量寿院 ——ふとうざん・えいふくじ・むりょうじゅいん 小高い八幡山(府頭山)の麓にあり、地元の人々は「八幡さん」と呼ぶ。明治の神仏分離までは、山頂にあり、大師堂は当時の建物を移築したもので十二支の干支の彫刻は一見の価値がある。寺には、寛政十二年(一八〇〇)の納経帳が残っており、遍路の歴史を研究するための重要な資料となっている。  ヘアピンのような急な参道を登る。こぢんまりとしたお寺。古い物が箱の中にぎっしりつまっている感じが懐かしい。線香の煙がもうもうとたちこめている。ほどよく遍路さんの参拝が行きかうが、一時に集まると少し窮屈だ。そんな中で、若いツアーガイドのメガネをかけた娘さんがメモをとっている姿は可憐だった。  第五十七番 栄福寺  玉川町大字八幡甲200 電車/JR予讃線・今治駅より瀬戸内バス鈍川行き、大須木下車徒歩15分 車/今治ICから約10分 宿坊なし http://www1.pasutel.co.jp/otera/eifukuzi/ 【第五十八番】作礼山 仙遊寺 千光院 ——されいざん・せんゆうじ・せんこういん 海抜三四〇メートルの作礼山頂に建ち、今治市街、瀬戸内の島々を一望できる。天智天皇の勅願により、伊予の大守・越智守興が建てたといわれ、八十八ヵ寺有数の歴史を誇る寺院。境内には、「弘法大師御加持水」の井戸や日本最後の入定仏・宥蓮上人の五輪塔もある。  登るにつれて瀬戸の海が眼下に広がってくる。緑広がる山々にみかんの木が躍っているように生きている。左手遠くに今治と尾道を結ぶ橋が島づたいにあるのが見える。  素晴らしい風景だ。一息入れて境内にすすむ。たくさんの仏像が出迎えているように参道に並んでいる。一風変った本堂の建物は何づくりというのだろう。とにかく屋根のカーブの美しさには目をみはる。境内の少し奥の方に古い仏様が五体横一列に並び何とも愛らしくやさしい。顔つきに心なごむ。もっと奥には岩戸観音がそっと座っていた。  第五十八番 仙遊寺  玉川町別所甲483 電車/JR予讃線・今治駅より瀬戸内バス鈍川行き、大須木下車徒歩1時間 車/今治ICから約20分 宿坊なし http://www1.pasutel.co.jp/otera/senyuzi/ 【第五十九番】金光山 国分寺 最勝院 ——こんこうざん・こくぶんじ・さいしょういん 伊予の国の国分寺だが、受難の歴史が続いた。平安時代の藤原純友の乱、源平の戦火、南北朝時代の戦乱、さらに長宗我部軍の兵火と四度焼かれ、寛政元年(一七八九)、本堂が再建されて以降、堂宇が整えられた。南北朝時代の貴重な文化財や出土品が数多く納められている。  八十八ヵ寺を巡っていると前後して顔見知りになる人々がいる。そんな中の一人の男性が境内の石段に片足をかけ、私の妻の左足をさすりながら祈りつづけている。求める気と与える気がなせるのか、足の不自由な妻には大そうありがたい出来事です。  似たような事は時々あり、人間の心の奥深く流れるやさしさなのでしょう。とにかくうれしく思い、感謝の気持は筆舌に尽くし難い。境内の数十人の子供たち、図画の勉強でにぎやかな時間、鐘つき堂を描く子が一番多く、子供らしさに納得するなごやかな時でした。  第五十九番 国分寺  今治市国分4‐1‐33 電車/JR予讃線・今治駅より瀬戸内バス桜井団地行き、国分寺下車徒歩2分 車/今治ICから約15分 宿坊なし 【第六十番】石鉄山 横峰寺 福智院 ——いしづちさん・よこみねじ・ふくちいん 役小角が開き、いまも山岳信仰の色濃く残る寺。四国の最高峰・石鎚山の中腹、標高七〇〇メートルの地に建ち、かつては札所中最大の難関といわれた。いまも冬期は車での参詣は、しばしば不能になるほど。桓武天皇の脳の病気を加持祈祷して治して以来、皇室、公家、武家の信仰を集め、現在もそのご利益を求めて参拝者が多い。  ぐるぐると回り、ずいぶんと山の中のそしてまた山の中に入ったものだ。今も昔も歩き遍路はさぞ難儀した事だろうと想像し、前日に寺で会った、足を痛めた歩き遍路の若者のことがふと心によぎる。古い山門の剛直さは山へ登ってきた人々を迎えるように手を広げ、その姿に圧倒される。  静けさの中に凜とした大気が山の起伏にさからわず配置された御堂をつつんでいるようだ。圧倒的な静寂の中に遍路の鈴の音がリンと響いていた。  第六十番 横峰寺  小松町石鎚甲2253 電車/JR予讃線・伊予西条駅より石鎚ロープウェイ行き、黒瀬峠下車。巡拝専用バスで横峰寺駐車場下車徒歩10分 車/いよ小松ICから約25分 宿坊なし 【第六十一番】栴檀山 香園寺 教王院 ——せんだんざん・こうおんじ・きょうおういん この道場の麓で、弘法大師が難産に苦しむ女性のために祈願して、無事出産させたという故事から、安産、子育て、身代わり、女人成仏の寺として、信仰を集め、大正二年には子安講が誕生している。南西二キロの奥の院には白滝がある。小松町の森林遊歩道の起点にもなり、四季折々に行楽客を集めている。  広々とした門前の空間、公園のような境内、たくさんの木々に囲まれた八十八ヵ寺で唯一の近代建築に変容したこの寺は、屈託のない明るさで俗世との垣根を取り払っているようだ。そばにたたずむコンクリートの御堂とその中の子安大師。コントラストがなぜかほほえましくかわいい。  人々も散歩しているようにゆったりと歩いていた。  第六十一番 香園寺  小松町南川甲19 電車/JR予讃線・伊予小松駅より松山方面行きバス、大師口下車徒歩5分 車/いよ小松ICから約5分 宿坊あり http://www1.pasutel.co.jp/otera/kouonzi/index.html 【第六十二番】天養山 宝寿寺 観音院 ——てんようざん・ほうじゅじ・かんのんいん 本尊の十一面観世音菩薩は、弘法大師が光明皇后の姿を刻んだものといわれる。大師が滞在中、国司の妻が難産に苦しむのを見かねて境内の「玉の井」の水に加持して与え、無事出産させたところから、安産の札所として女性の参拝客を集める。境内には、札所で一番古いといわれる石の遍路道標がある。  国道十一号線を歩く。足を一足を歩踏み入れると寺に入る。  道路からは、石鎚山が涅槃の形をしているといわれる姿を見せている。今は車の喧噪の中にある寺は、伊予鉄道を北面に置き、道路と鉄道にはさまれている格好だ。それでも境内のたたずまいには、清涼感が漂い、静けさに包まれているようだ。小柄なこの寺に、山椒は小粒とでもいっているような気概をみた。  第六十二番 宝寿寺  小松町新屋敷甲428 電車/JR予讃線・伊予小松駅より徒歩1分 車/いよ小松ICから約10分 宿坊なし 【第六十三番】密教山 吉祥寺 胎蔵院 ——みっきょうざん・きっしょうじ・たいぞういん 霊場中、唯一、毘沙門天を本尊にしている。杖が見事に石の穴に入れば願いがかなうという「成就石」、像の下をくぐるだけでご利益があるという「くぐり吉祥天」など、見所が多い。「マリア観音像」は高麗焼の純白の像で、もとは長宗我部元親がイスパニアの船長から譲り受けたものという。  この寺も、まことにこぢんまりとしたお寺だ。大師堂の中ではお坊様が朝のおつとめをしているひととき。夫婦二人の遍路さんが若い歩き遍路さんの難儀なようすを思いやっている雨の今日、あたりまえの光景だがとてもいい。  境内に一本の大きい松の木が天に向ってすっくと伸びている。枝の下では先ほどの夫婦遍路さんの熱心なお経がいつまでも響いていた。  第六十三番 吉祥寺  西条市氷見乙1048 電車/JR予讃線・伊予氷見駅より徒歩4分 車/いよ小松ICから約15分 宿坊なし 【第六十四番】石〓山 前神寺 金色院 ——いしづちさん・まえがみじ・こんじきいん 第六十番・横峰寺とともに石〓権現の別当寺で、歴代天皇の信仰が厚く、江戸時代には、西条藩主・松平家が東照宮をまつり、三葉葵の寺紋が許されている。石鎚山の頂上近くには、石鎚神社成就社(元・奥前神寺)があり、石鎚神社とともに現在も石鎚信仰を担う。毎月二十日の「権現様縁日」には、全国から行者、信者が集まる。  雨の中きわだった静寂の時、境内に入る。鐘つき堂を右に、大師堂を左に見ながら浄土橋と銘ある小さい橋にさしかかる。なにげなく川を見ると川の底が赤い色をしている。その面白い色あいが興味をそそる。  厳《おごそ》かで凜とした本堂のたたずまいの中、人々は朝の挨拶をかわす。そして本堂の中から聞こえる般若心経の合唱はさわやかで雨の音をかき消していた。  第六十四番 前神寺  西条市洲之内甲1426 電車/JR予讃線・石鎚山駅より徒歩10分 車/いよ小松ICから約25分 宿坊あり(休みあり) 【第六十五番】由霊山 三角寺 慈尊院 ——ゆれいざん・さんかくじ・じそんいん 伊予の関所寺で三角寺山の中腹にある。本尊の十一面観世音菩薩は、開運厄除け、安産子安の霊験あらたかと信仰を集める。山門脇に山桜の古木があるが、小林一茶が「これでこそ登りかひあり山桜」の句を残す。  みかんの畑を縫う道で迷う。畑仕事の人が教えてくれ、みかんをいただく。くねくねと登り、昔からあるであろう青い石で造った石段を上り山門にたどりついた。この山門には鐘がある。ゴーンと一つき境内に入る。寺のお坊さんが一人ほうきで掃いている。きれいに清掃された空間に、石づみされた昔からの高台がある。石段を上り高台の大師堂を見る。赤く色づいたもみじの木が楚々としたこの寺を演出しているかのようだ。  文字通りの三角《みすみ》池には大弁天が居心地良さそうに鎮座し、いつの時代であろうか、形のよい石で作られた古い線香立て、そして見渡す限りの燧灘《ひうちなだ》が心に残る。  第六十五番 三角寺  川之江市金田町三角寺甲75 電車/JR予讃線・川之江駅より瀬戸内バス新宮行き、三角寺口下車徒歩45分 車/三島川之江ICから約10分 宿坊なし 「涅槃の道場」煩悩を超越し、悟りの境地に入る旅路 讃岐の国二十三ヵ寺 香川県  【第六十六番】巨鼇山 雲辺寺 千手院 ——きょごうざん・うんぺんじ・せんじゅいん 四国八十八ヵ所の最高所、標高九一一メートルの雲辺寺山頂にある。一日に一度は雨が降るといわれ、急坂の難所だが、いまはロープウェイでも行けるようになった。阿波(徳島)、伊予(愛媛)、讃岐(香川)三国の関所寺で、徳島から時計回りに回る最後になる讃岐のひとつに数えられるが、現住所は徳島県にある。  ロープウェイを降りるといきなり「お迎え大師」に迎えられる。寺は多くの大木にかこまれ、広く大きく山全体が境内のようだ。五百羅漢さんもたくさんいるように思われる。  新しい大師堂の後ろの古い大師堂が羅漢さんを守っているかのようだ。左奥にひっそりと五社大権現が忘れられたかのようにある清楚なたたずまいがうれしい。遠くの景色は瀬戸内の海、ロープウェイの下はけわしい山なみ、昔日を想い感無量。  第六十六番 雲辺寺  徳島県地田町白地763‐2 電車/JR予讃線・観音寺駅より琴参バス五郷行き、落合下車。徒歩40分の山麓駅からロープウェイ7分 車/大野原ICから約15分 宿坊なし 【第六十七番】小松尾山 大興寺 不動光院 ——こまつおざん・だいこうじ・ふどうこういん 四国一大きな仁王門にある像は運慶作といわれる。日本最古といわれる天台宗開祖・天台大師の坐像が安置されている。また、文永四年(一二六七)に藤原経朝卿が奉納した扁額《へんがく》が寺宝として残る。  ゆるやかな道、田畑を巡る門前につくと、前面はあくまでのどかな畑。小さな農道と小川をへだてたところに仁王門と小さな地蔵が立っていた。二、三歩の橋を渡ると仁王門。くぐると右手に大きな楠の木が迎えてくれる。直径二メートルもあるだろうか。本堂への石段を守り、人々を見守り見つめているように少し斜めになっておじぎをしているようだ。  境内で一人くつのひもを解き、弁当を食べている歩き遍路の中年の男性。聞くと兵庫からだという。お弁当はお接待でいただいたとのこと。歩くためのくつや衣類の話をする。いつもの事だが、何とすがすがしい笑顔を送ってくれるのだろう。人恋し、そう思う一時だった。  第六十七番 大興寺  山本町辻小松尾4209 電車/JR予讃線・観音寺駅より財田経由琴平行きバス、大辻下車徒歩25分 車/大野原ICから約20分 宿坊なし 【第六十八番】琴弾山 神恵院 ——ことひきざん・じんねいん 琴弾八幡宮の別当寺にはじまる。明治元年の神仏分離で、第六十九番・観音寺の境内に移された。一寺二霊場の札所は、ここだけ。参拝者は、観音寺の山門をくぐり、石段を上って上にある神恵院に参拝してから、石段下の観音寺に詣でることになる。境内は琴弾公園の一角にあり、展望台からは景勝・有明海岸の眺望が楽しめる。  山門につくと二つのお寺の名前が書いてある。ちょっととまどい、そしてほっとする。二つ一緒に見る事が出来るのだから、のんびり出来そうな気分になる。  境内の石段を上ると本堂が待っている。心なしか人々も一息ついているように見える。ゆっくりとした足どりがよく似合っているような気がしてくるから不思議だ。本堂の少し右横のお堂に、大石でつくられた古い塔がぽつんと置かれていた。その前のゆるやかな下り坂を下ると、ゆっくりとした時が流れるようだった。  第六十八番 神恵院  観音寺市八幡町1‐2‐7 電車/JR予讃線・観音寺駅より詫間経由仁尾行きバス、観音寺中学校下車徒歩3分 車/大野原ICから約15分 宿坊なし 【第六十九番】七宝山 観音寺 ——しっぽうざん・かんおんじ 大宝年間(七〇一〜七〇四)の開創当時は、神宮寺と呼ばれた。弘法大師が七宝を埋めて地鎮したことから七宝山と号し、寺名も観音寺に変えた。市名にも観音寺の名がついているくらいで、地元では「おかんおんさん」と親しまれている。朱塗りの本堂と本尊を安置する厨子が国宝のほか、琴弾八幡宮縁起、涅槃仏が重文になっている。  長老が威厳をもって見守るように境内に枝を広げ大きなくすの樹が人々を待っているかのようだ。ふと、この樹がもしないならばとの考えが走る。そのくらいこの樹の存在の大きさを感じ、恐ろしく思った。存在への畏敬の念か恐怖か、そんな事を思いながらも境内の雰囲気をなごませている茶店の風貌に惹かれていた。  第六十九番 観音寺  観音寺市八幡町1‐2‐7 電車/JR予讃線・観音寺駅より詫間経由仁尾行きバス、観音寺中学校下車徒歩3分 車/大野原ICから約15分 宿坊なし http://www.evam.ne.jp/kannonji/ 【第七十番】七宝山 本山寺 持宝院 ——しっぽうざん・もとやまじ・じほういん 長宗我部軍の焼き討ちを免れた数少ない寺で、貴重な建造物が多い。正安二年(一三〇〇)に建立された本堂は、和様・唐様・天竺様を折衷させた貴重な建築で、香川県でただひとつの国宝建造物。堂内の仏壇、厨子も国宝。鎌倉時代の仁王門は円柱からなる珍しい八脚門で、重文に指定されている。  うららかな一時、太陽がやさしくほほえむ広々とした境内の空間に人の少なさは似つかわしくない。そびえたつ豪壮な五重塔、本堂等、ゆるやかに流れる、何故と思うこの静けさは知らず知らずに感慨にいざなう。  大師堂裏手奥につつましくまとまった古い美しい形の五輪の塔部を思い出す。後世配置されたのであろうこの空間に心地良い落ち着きを感じる。あまりにもこのお寺は天気が良かった。  第七十番 本山寺  豊中町本山甲1445 電車/JR予讃線・本山駅徒歩15分 車/さぬき豊中ICから約5分 宿坊なし 【第七十一番】剣五山 弥谷寺 千手院 ——けんござん・いやだにじ・せんじゅいん 海抜三八二メートルの弥谷山は、古くから民間信仰の聖地。死者の霊魂が行く山といわれ、山門をくぐると「賽の河原」と呼ばれる参道が続く。堂宇は険しい山肌に点在し、四国霊場では珍しい磨崖《まがい》の阿弥陀三尊像がある。大師堂にある「獅子の岩屋」で祈ると、獅子が罪を食べ尽くしてくれると信じられている。  岩山を緑でおおい、石の階段が山なみの姿を現す。一歩踏みこむとなぜか緊張感が走る。山谷全体がこのお寺のようだ。いたる所に中、小のほこらがあり、巨大で古い五輪塔あり、その周りには地蔵群、岩に彫られた仏のレリーフ、昔日の面影いっぱいのこのお寺は、えも言われぬ不思議に満ち満ちている。  たどり着いた一番上の本堂だけは明るく輝いていた。  第七十一番 弥谷寺  三野町大見乙70 電車/JR予讃線・詫間駅よりJRバス善通寺行き、弥谷寺口下車徒歩40分 車/JRみの駅から約10分 宿坊なし 【第七十二番】我拝師山 曼荼羅寺 延命院 ——がはいしざん・まんだらじ・えんめいいん 推古天皇四年(五九六)の建立当時は世坂寺と号していた。霊場最古の歴史を誇る。もとは大師の一族である佐伯氏の氏寺。大師が亡き母・玉依御前の菩提を弔うために、唐の青竜寺を模した堂塔を建て、唐から持ち帰った金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅を安置して改称した。曲水式枯山水の庭園は、この寺で七年間暮らした歌人・西行作といわれる。  山に登る手前にある。寺の前は田んぼである。こぢんまりとしたこの寺には、昔から土地の人々の信仰心の厚さが感じられる。  人々に大事にされ守られている様子の鐘つき堂、大師堂。丁寧に修復された本堂、境内にかかる橋など、大切にされている。  弘法大師お手植えの不老の松や古い井戸。この寺はいとしさにあふれる感でいっぱいだった。  第七十二番 曼荼羅寺  善通寺市吉原町1380‐1 電車/JR土讃線・善通寺駅より仁尾バス詫間行き・観音寺行き、吉原下車徒歩10分 車/善通寺ICから約15分 宿坊なし 【第七十三番】我拝師山 出釈迦寺 求聞持院 ——がはいしざん・しゅつしゃかじ・ぐもんじいん 虚空蔵菩薩堂の前に、絶壁から身を投げる弘法大師とそれを羽衣で抱きとめる釈迦如来の姿を刻んだ石碑がある。大師が七歳のとき、我拝師山の頂上・捨身ケ嶽に立ち、「衆生を済度せんと念ず……成就かなわずば、一命を捨ててこの身を諸仏に供養せん」と投身した故事を刻んだもの。山上の奥の院からは讃岐平野と瀬戸内海が一望のもと。  山の中腹と言うべきだろうか、ふり向くとなだらかな起伏を織りなす緑が気持良く風を運んでくれる。山門へのほど良いアプローチはゆるやかに心地良い。境内には仲が良さそうに本堂と大師堂がぴったりと添い、見るからにほほえましい。弘法大師が七歳の時、身を投げたと言われる「捨身ケ嶽」は今は遠い往時の事なのか。あくまでのどかだ。  帰りの参道には山盛りのイチジクが並んでいた。  第七十三番 出釈迦寺  善通寺市吉原町1091 電車/JR土讃線・善通寺駅より仁尾バス詫間行き・観音寺行き、吉原下車徒歩25分 車/善通寺ICから約15分 宿坊なし 【第七十四番】医王山 甲山寺 多宝院 ——いおうざん・こうやまじ・たほういん 日本一の溜池・満濃池《まんのういけ》修築の勅命を受けた弘法大師が短期間で難工事を完成し、ほうびの金二万銭の一部で堂塔を建立した。東一キロほどのところに番外霊場の仙遊寺があるが、多度郡の郡司・佐伯氏に生まれた大師が幼少の頃によく遊んだ場所と伝えられる。亡くなった愛犬を埋めたという犬塚もある。  こぢんまりとした山門は、どこかで見たような親しみ深い風情で迎えてくれる。  左手に小高い山を背負った格好の寺は、どこまでも慎み深く飄々とした佇まいで心を弛緩《しかん》させる。  苦しみを意識するより福寿を祈る人に皆利益をうくる、と不可思議の山と山のほこらの毘沙門天はいう。同感なり。  第七十四番 甲山寺  善通寺市弘田町1765‐1 電車/JR土讃線・善通寺駅より仁尾バス詫間行き・観音寺行き、朝比奈グランド前下車徒歩15分 車/善通寺ICから約10分 宿坊なし 【第七十五番】五岳山 善通寺 誕生院 ——ごがくざん・ぜんつうじ・たんじょういん 院号が示すように弘法大師誕生の地に建つ。真言宗善通寺派の総本山で、紀州高野山、京都東寺とともに大師の三大霊場といわれる。唐の留学から戻った大師が寺院を建立するにあたり、父・佐伯善通から荘園四町四方を受け、父の名を寺名とした。大師が生まれた御影堂、産湯井や国宝の金銅錫杖など、大師ゆかりの寺宝に満ちている。  観光バスの山である。広い境内にはこの町の生活道路が走っている。道路をはさみ、西と東に三十余の堂塔が配置された空間の見事さに息をのむ。巨大な大師堂は見る者を圧倒するだろうし、大きな楠の樹は千年以上の歳月を有し、点在する松の樹はほどよく大きく境内に調和と安らぎを与えてくれる。弘法大師生誕の寺としての威厳と風格はむろんの事、ゆったりとした安堵を感じる。境内の砂利に降りそそぐ雨の音はいかにも遍路のやさしい鈴の音と調和して美しい。  第七十五番 善通寺  善通寺市善通寺町3‐3‐1 電車/JR土讃線・善通寺駅より仁尾バス詫間行き・観音寺行き、赤門前下車徒歩5分 車/善通寺ICから約10分 宿坊あり http://www.niji.or.jp/zentsuji/index.htm 【第七十六番】鶏足山 金倉寺 宝幢院 ——けいそくざん・こんぞうじ・ほうどういん 宝亀五年(七七四)、豪族・和気道善が創建。その子の天台宗寺門派の開祖・智証大師の生誕地。智証大師は弘法大師の甥で、後に延暦寺の座主となった名僧。境内にある「乃木将軍妻返しの松」は、将軍が善通寺の十一師団長当時、訪れた静子夫人を公務を理由に追い返し、夫人がこの木の下で途方に暮れたというエピソードが残る。  十何年も音信不通であった友人、出家したのであろう姿とこの寺で再会した。個々に求めたものは何なのか。私自身の求めるものは、方法の違いだろうか。  時の流れの不思議が、今ここで引き合わせてくれたのだろうか。それとも神仏の計略か。過ぎ去った時より、これからの歴史に望みをたくしたいと思う。すっくと背すじをのばしているかのように立っている古い鐘楼は何かを語りかけているように飄々としていた。  第七十六番 金倉寺  善通寺市金蔵寺町1160 電車/JR土讃線・金蔵寺駅より徒歩10分 車/善通寺ICから約10分 宿坊なし 【第七十七番】桑多山 道隆寺 明王院 ——そうたさん・どうりゅうじ・みょうおういん 豪族・和気道隆が建立。道隆の子で、二代住職・朝祐法師が七堂伽藍を建立して、開祖の名を寺号とした。山門から本堂までに七十余りの観音像、裏門に至る参道に百観音像が並ぶ。本尊・薬師如来は「目なおし薬師」の別名がある。道教や神仏習合の影響で妙見社が残り、重文の星曼荼羅を納める。  茫洋と感じる山門の前、たたずんでしまった。数羽の鳩が飛来し、親しそうに足もとにたわむれてくる。  のどかな陽の暖かさが一層のどかさを助長しているかのようだ。見事なほど堂々とした本堂、大師堂、多宝塔などの建物が陽をあびた姿は、美しさに息をのむほどだ。この寺には目なおし薬師があり、多くの老若男女が手を合せる。線香の煙とともにゆらゆらと大気が流れているかのようだ。広く静かでおだやかな境内は、歳月からにじむ歴史の重さを賛美している。  第七十七番 道隆寺  多度津町北鴨1‐3‐30 電車/JR予讃線・多度津駅より徒歩20分 車/善通寺ICから約30分 宿坊なし 【第七十八番】仏光山 郷照寺 広徳院 ——ぶっこうざん・ごうしょうじ・こうとくいん 八十八ヵ所でただひとつ、時宗の札所。もとは天台宗だったが、弘法大師によって真言宗となり、鎌倉時代に一遍上人が訪れて、時宗の寺となった。以後、「踊り念仏」の道場として栄えた。参道脇の地下に万体観音洞があり、文字通り万を超す観音像が並ぶ。境内からは、瀬戸内海と瀬戸大橋が望める。  民家の間をすりぬけるように少しずつ坂を上ると門がある。さらに坂道を上ると小高い個所にたつ。周辺を見渡せる位置に、きちんとしていかにも行儀の良い感じのするお寺である。  気のせいか、ここの遍路さんも何となくきちんとしている。寺の少し横の裏手には、池を配し、ポルトガルから来たといわれるホルトノキが大きくまわりを包みこむように睥睨《へいげい》し、山水の庭園をかたどっているようだ。  第七十八番 郷照寺  宇多津町1435 電車/JR予讃線・宇多津駅徒歩20分 車/坂出ICから約10分 宿坊なし 【第七十九番】金華山 天皇寺 高照院 ——きんかざん・てんのうじ・こうしょういん 保元の乱(一一五六)に敗れて讃岐に配流された崇徳上皇は、亡くなると白峯寺(第八十一番)に葬られたが、後嵯峨天皇の代になって成就寺の境内に鎮魂のための白峰宮が建てられ、寺号を天皇寺に改めた。境内近くに上皇の遺骸を清めたという霊水・八十場《やそば》(弥蘇場)の水が湧く。  公園に入るような参道は民家にそって気持ちがいい。白峰宮とあるこの寺は鳥居をくぐって入る。鳥居の上には崇徳上皇とあるが、一方その横側にも入口があって遍路さんも少しとまどっている。  寺と神社が一体になっているような境内はさほど広くはないが、どこか品がいい。杉の木や、どんぐりの木がこきみよく配置され、すっきりしている。遍路さんも手持ちぶさたのようすで入れ替わる。鉄道が見えるのどかな場所である。  第七十九番 天皇寺  坂出市西庄町八十場1713‐2 電車/JR予讃線・八十場駅より徒歩5分 車/坂出北ICから約10分 宿坊休業中 【第八十番】白牛山 国分寺 千手院 ——はくぎゅうざん・こくぶんじ・せんじゅいん 讃岐の国分寺で、行基作の本尊・十一面千手観音は五・三メートルもある四国最大の仏像(国宝)。参道には八十八霊場の本尊を模した石仏が立つ。寺域からは創建当時の瓦が出土し、「国分寺跡資料館」に展示されている。  午後四時曇り空。うす暗くなった。仁王門に松の枝がきれいな形を描き、門の露払いをしているように美しい造形を演出している。遍路さんが一礼して出て行く。入れ替わりに女性一人の遍路さんが足早に門をくぐる。夕闇がガランとした静けさを誘い、広い境内は少しほっとしたような淋しさをたたえている。  縁結びのお堂の前、ピンクの洋服を着た若い娘さんが長い間手を合わせている。祈る事の切なさを思いやるかのように、そっとかたわらの松の枝がそよいでいた。笠をかぶり大きなリュックを背負った歩き遍路さんが今日の宿を求め、杖の音を響かせながら大股で去っていった。  第八十番 国分寺  国分寺町国分2065 電車/JR予讃線・国分駅より徒歩5分 車/高松西ICから約15分 宿坊なし 【第八十一番】綾松山 白峯寺 洞林院 ——りょうしょうざん・しろみねじ・どうりんいん 紅・青・黄・黒・白の五つの峰からなる景勝・五色台《ごしきだい》の西端の白峰に建ち、崇徳上皇の墓所・白峯陵がある。歌の道を通して親しかった西行法師が、上皇の死後にこの地を訪れて「よしや君 昔の玉の 床とても かからむのちは 何にかはせむ」と鎮魂の歌を詠んだという。高麗門形式の珍しい「七棟門」が立つ。  大勢の遍路さんの中で一人年とった婦人が、妻の肩かけカバンに何かを結んでいる。  小さくて可愛い御守りのようなものだ。その光景はいかにも神々しく、ただ頭が自然に下がる思いで、感謝。歴史に裏打ちされた風格に満ちたこの寺は、文句なく圧倒される崇徳上皇ゆかりの寺だ。入口の門には一匹の犬が人なつっこく尾を振って迎える。帰りにもなごりおしそうにいつまでも見送っている姿に、ふと何だろうと心が残る。  第八十一番 白峯寺  坂出市青海町2635 電車/JR予讃線・坂出駅より琴参バス王越行き・大屋冨行き、高屋下車徒歩60分 車/坂出ICから約30分 宿坊あり(団体のみ) 【第八十二番】青峰山 根香寺 千手院 ——あおみねざん・ねごろじ・せんじゅいん 弘法大師が創建の花蔵院と大師の甥・智証大師が創建の千手院を総称して根香寺と号した。本尊は三十三年ごとに開帳される秘仏で、次は二〇〇二年。本堂前の回廊には、全国から奉納された観音の小像が三万体余り並ぶ。  うっそうとした山中の道を上る。くもりの空は暗く、グレーの香りが漂うようだ。上り切った所、仁王門が立ちはだかる。仁王門から境内を見ると、やわらかい木々が複雑に織り成し、上り下りの石段を斑模様にかくす素晴らしい造型の妙だ。少し石段を下り二〇メートルくらい歩くと上りの石段、それは城壁の中にあるようだ。  途中、牛頭《ごず》観音がある。妙にリアル、だが威厳がある。また石段を上る。上った所に本堂。山のふところ深く、どこまでも幽玄の世界。限りない静けさは鳥の声にてわずかに風を誘っているかのようだった。  第八十二番 根香寺  高松市中山町1506 電車/JR予讃線・高松駅より琴電バス王越行き、根香口下車徒歩約1時間 車/高松西ICから約30分 宿坊なし http://www1.plala.or.jp/negoro/ 【第八十三番】神毫山 一宮寺 大宝院 ——しんごうざん・いちのみやじ・だいほういん 山門は讃岐一宮の田村神社の鳥居と道を隔てている。創建当時は、大宝寺と号していたが、諸国に一宮が建立されたときに、田村神社の別当寺となったことから改号された。薬師如来を納めた祠に頭を入れ、己を無にすれば、新しい境地が開けるといわれる。「日曜市」は出店で賑わう。  自転車が鐘つき堂のそばにころがっている。幼い姉妹だろうか、じゃれるように駆けまわっている。一体何をしているのだろう。今はやりのテレビゲームなんかで遊んでいるより、はるかにいいながめだ。遠い昔の私にも同じことが日々あったような気がする光景だ。  三々五々集う家族づれやエプロン姿の近所の人たちで、まるで憩いの場であるような境内。どこかなつかしく安心できるひととき。その象徴かのように悪い事をすると石の扉がしまるといわれている地蔵がちょこんとたたずんでいた。  第八十三番 一宮寺  高松市一宮町607 電車/高松琴平電鉄・一宮駅より徒歩10分 車/高松西ICから約10分 宿坊あり(団体のみ) 【第八十四番】南面山 屋島寺 千光院 ——なんめんざん・やしまじ・せんこういん 源平の古戦場を見渡す景勝地・屋島山頂に建つ。奈良時代の天平勝宝六年(七五四)に唐から来朝した鑑真和上が建立した由緒ある寺院。鎌倉期の本堂は、八十八ヵ寺有数の名建築として名高い。本尊・十一面千手観音、梵鐘とともに国の重文となっている。  さすがに古戦場、源平合戦の大観光地である。台地になっているような屋島すべてが古い歴史を湛えているようだ。広い駐車場、参道、大きな声の名古屋弁の遍路さんの一群、東北なまりの声などが行きかう。先頭の旗を持った人にゾロゾロとついて歩く。楽しげな笑い声が境内を包む。  二人づれの遍路。少人数の団体、親子づれなど、見渡す境内は色々な人模様を描いている。本堂のそば、たぬきをまつった大明神が大きくかわいい笑いを誘っていた。所どころの松の木にも鳥がのんびりと行きかっていた。  第八十四番 屋島寺  高松市屋島東町1808 電車/高松琴平電鉄志度線・屋島駅より屋島ケーブル屋島登山口駅まで徒歩5分。屋島山上駅下車徒歩10分 車/高松西ICから約30分 宿坊なし 【第八十五番】五剣山 八栗寺 観自在院 ——ごけんざん・やくりじ・かんじざいいん 五剣山の中腹にある。聖天堂には、後水尾天皇妃・東福門院から下賜された秘仏の大歓喜自在天がまつられている。「八栗聖天さん」と親しまれ、商売繁盛、夫婦和合の神様として参詣者が絶えない。  高松市の北東の方角に五剣山が近づく。山のふもとにゆるやかにたどりつく、ほんのりと観光色のついたケーブル乗り場。遍路さんの笑い声がのんびりした大気によく似合う。  ケーブルを降りると長いなだらかな坂道がつづく。人々が行きかう参道はずいぶんと時を経た信仰の土となっているようだ。途中の大師堂にはどんぐりの実がパラパラと落ち、三歳くらいの幼児をつれた親子、祖母たち。小さい手の片方にはまんじゅう、片手でどんぐりの実を追っている。慈愛の目はいつでも心なごむ。  はなやかな本堂、線香の煙が境内に響いているよう。本堂を背にした一方の参道がひっそりとつづいていた。  第八十五番 八栗寺  牟礼町牟礼3416 電車/高松琴平電鉄八栗駅より八栗ケーブルで八栗山上駅下車すぐ 車/高松西ICからケーブル登山口まで約40分 宿坊なし 【第八十六番】補陀落山 志度寺 清浄光院 ——ふだらくさん・しどじ・しょうじょうこういん 志度湾に面して建つ推古天皇三十三年(六二五)開創の霊場最古の寺。天武天皇十年(六八一)に藤原不比等が妻の海女の墓を立て、「死渡道場」と名づけて堂宇を広げた。『平家物語』にもその名が見えるが、天正の兵火で焼失し、安永元年(一七七二)に再建された。近くに江戸の発明家・平賀源内の旧宅があり、境内に墓がある。  ハトが一羽足元へ飛んで来てくるくると回る。仁王門の前、剛直な門だ。しばらく見とれていると、またハトが案内するように私をまわる。門に入ってまっすぐつきあたりに薬師如来のお堂、左手に赤い五重塔、木立にかくれるように建つ鐘つき堂、〓魔堂《えんまどう》、本堂、大師堂と堂々とした姿に凄みを感じる。夕暮れの曇天のせいか、寺全体の存在をきわだたせる。  近所の人であろう、中年の婦人が一人また一人とせわしげに次々と手を合わせる姿に静けさが動くようであった。  第八十六番 志度寺  志度町志度1102 電車/JR高徳線・志度駅または琴平電鉄・志度駅より徒歩10分 車/高松西ICから約40分 宿坊なし 【第八十七番】補陀落山 長尾寺 観音院 ——ふだらくさん・ながおじ・かんおんいん 源義経の妻・静御前が得度した寺として知られ、剃髪塚が残る。歴史は古く、聖徳太子開創ともいわれるが、文献上は天平十一年(七三九)に行基が小堂を建てたのがはじまり。境内には、根回り六メートルの大楠が茂る。仁王門の左右に一基ずつある石の経幢《きようどう》(写経を埋めた塚)は元寇の戦死者を弔った鎌倉時代のもので重文。  青く澄みきった空に鳥が二羽舞っている。時々地に降りる気配も思わせぶりに。見るのをやめた。付近の民家と一体感のある境内の空気はやはり鳥のように舞っている。聞こえてくるのは団体遍路さんの御詠歌の大合唱、ゆったりとした境内に響きわたる。  にぎわう境内のお茶屋に甘酒とうどんのかおりがほんのり匂う。解放感にあふれるうららかな一時だった。自転車で巡っている二人づれの若者のどこか幼い笑顔がさわやかでいい。  第八十七番 長尾寺  長尾町西653 電車/高松琴平電鉄長尾線長尾駅より徒歩5分 車/高松西ICから約1時間 宿坊なし 【第八十八番】医王山 大窪寺 遍照光院 ——いおうざん・おおくぼじ・へんじょうこういん 行基が草庵を結び、修行した山岳道場が始まり。唐から帰朝した弘法大師が奥の院にある大きな窪のそばに堂宇を建てたのが寺号の由来。古くから男女の別なく参拝を許したことから、「女人高野」として栄えた。結願の寺らしく、本堂や大師堂には八十八ヵ所を打ち終えた錫杖や菅笠が数え切れないほど、納められている。  ゆるやかな山あいの田畑をくねくねと上り下りをくりかえし、日本昔話に出てくるような風景を満喫し、気持ちよく着く。すがすがしい思いで山門を見上げ、境内に入る。  ほっとしている顔、なごやかな顔、晴れ晴れとどこか正月にお参りしたような雰囲気をかもしだす結願の寺。  長野からの中年夫婦の遍路、前後し寺で会った人たち。本当にうれしそうに楽しそうに、また巡りたいの言葉を残し去って行った。幸せに。  第八十八番 大窪寺  長尾町多和字兼割96 電車/高松琴平電鉄長尾線長尾駅より大川バス長谷行き、多和小学校前下車徒歩1時間20分 車/高松西ICから約1時間40分 宿坊なし  あとがき  日中は戸外で絵を描くことの日々。夕闇がせまってくるとホテルへ帰り、BA《バ》R《ル》へと日課のように出かけて行った。いろいろな人々となじみ、杯を交わしたり、ダートゲームに興じたりしていた。  ある時、「なぜ一人なのか」「仕事は何なのか」など、質問を受けた。適当に応じていたが、相手は放さない。聞いていると、政治の話や宗教の話まで出てくる。何とも話好きな人たちであった。  その中で、私が興味を抱いたのは、スペインの北、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の話であった。思えば、他のBARでも巡礼のため欧州各地から来たという若い人、グループの人たち、夫婦連れに出会った。異邦人である私には、この土地の人々のように見えた。気にも止めていなかった四半世紀も前の出来事だった。  こうして幾度かスペイン各地を訪れているうち、何気なくサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼のことが私の脳裏に記憶されていったように思われる。そうして私の心の中にふるさとの四国八十八ヵ寺がぼんやりとスライドされていった。そのうち訪れてみようと。    ある機会を得て四国へ行ったとき、散歩のつもりで出かけ、軽くスケッチをはじめた。色々な記憶が交錯し、好奇心が頭をもたげ、本来、寺の持つ「気」を感じ、その素晴らしさに魅了されていった。    他の世界にはないであろう回帰巡礼のオリジナル、そして創作者「空海」の偉大さに驚愕しました。いつしか描かされていった快感に、言葉に尽くせない心の平穏を得たように思います。最後に高野山を訪れた際に、その想いは確信に変わったような気がします。この本の中で、その一片でも伝えることが出来れば幸いに思います。  出版にあたり、講談社の野村忠男氏、田畑則重氏には大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。      二〇〇一年春 永井吐無   ●永井吐無(ながい・とむ) 一九四四年、愛媛県生まれ。高松工芸学校卒業。洋画家。一九七〇年第1回個展開催。一九七二年以後ヨーロッパ各地にて制作活動を重ねながら、日本橋三越展をはじめ、個展を主に四十数回作品を発表。主な作品集に、絵本「ぼくがかいた家」(一九八一年)画集「THE WORLD OF TOM NAGAI」(一九八六〜一九九二年)「四国八十八ヵ寺」(二〇〇一年)がある。 【ホームページ】 http://www.tn-world.com/ * 本書は、二〇〇一年四月、講談社から単行本として刊行されました。 癒《いや》しの旅《たび》 四国霊場《しこくれいじよう》八十八《はちじゆうはち》ヵ寺《じ》 講談社電子文庫版PC  永井吐無《ながいとむ》 著 Tom Nagai 2001 二〇〇三年二月一四日発行(デコ) 発行者 野間省伸 発行所 株式会社 講談社     東京都文京区音羽二‐一二‐二一     〒112-8001 本電子書籍は、購入者個人の閲覧の目的のためのみ、ファイルのダウンロードが許諾されています。複製・転送・譲渡は、禁止します。 KD000299-0